ひきからじりつ

心境を記録中・・・

いつも高すぎる期待がある

少し前にギターを捨てたばかりなのにまた買ってしまったり、あれだけ興奮していた「Gear VR」すぐに飽きてしまったり、こういうことが最近多くて自分でも何がしたいのか分からない。自分の行動基準が「どうあるべきか」から「どうしたいか」に移行しつつあると実感していただけに、その指針となる自分の気持ちが分からないと困ってしまう。

でも昨日、例のカウンセリングでその話をしていて気づいたんだけど、例えばGear VRひとつとっても、楽しめる可能性に賭けて買ってみたら徐々に不満が目立ってきて結局手放すことに決めるまでの一連の流れの中で、自分の気持ちに従うことはできている。つまり、気持ちが分からないんじゃなくて、分かるようになってきたからこそ、買って早々に手放す覚悟ができたのかもしれない。たしかに以前の僕なら、買ってしまった自分を正当化することに躍起になっていたはず。

問題は「今の僕にはこれしかないんだ!」と期待感に舞い上がって視野が狭くなってしまうこと。Gear VRで致命的だった発熱問題も事前に知っていたはずなのに、見てみぬふりをしてしまった。

僕は早ければ来年の初頭にも、精神病院に入院しようと思っている。そのことは先生にも親にもまだ誰にも相談してないが、僕の中ではほぼ決まっている。それこそ、今の僕にはそれがベストだと思うから。僕はまた、完璧な期待感に舞い上がっている。体験談の中にネガティブな情報があっても入ってこない。ぜんっぜん入ってこないよ!

勝手に期待しすぎる所は、僕の悪い癖なのかもしれない。先月から訳あって、妹ともうすぐ3歳になる姪が家にいるんだけど、その姪と母を比べてしみじみ思う。僕はここ数年、毎日何度も母に対してイライラしてきたが、それは僕が勝手に期待しすぎたからじゃないかと。例えば母には洗濯ものかごを邪魔になるところに置く癖がある。それが姪なら、むしろちゃんと置けることに感心さえするのに。

たしかに姪は可愛い。同じ感情は母には湧かない。でもそれは感情が先にあるんじゃなくて、姪ができないからこそ、できないことが明らかだからこそ可愛いんじゃないか。まだまだ無力な姪が、家庭の事情で振り回される姪が、可愛そう。可愛そうと可愛いは似ている。

母は僕が生まれたときにはすでに大人で、なんでも僕よりできて、いろいろなことを知っていて、頼りになるべき人だった。それが未だにあって、だからこそ母に至らないところがあるとイライラしてしまうんじゃないか。いくら可愛い姪だって、僕が良かれと思ってやったことに期待通りの反応をしてくれないと、ちょっとイライラしたり不安になってしまう。イライラと不安も似ている。そうか、僕は母だけじゃなく、自分を含めてあらゆる人に勝手に高すぎる期待をして、それにそぐわないことが起こる度にイライラしたり不安になってしまうのか。

その高すぎる期待とうまく付き合っていけるようになれば、僕の人生はもっと楽しくなるんじゃないかと勝手に期待している。