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精神科に行ってきた

hiki-jiritsu.hatenablog.com

今日はだいぶ前に予約した精神科に行ってきた。

予約したのはこれから外へ出ていこうとする中、何をどう頑張ればいいか、具体的には発達障害かどうかをまず知りたかったからだ。

以前、と言ってももう6,7年前、対人恐怖が悪化する一方で大学をさぼりがちになったころ、別の病院に半年ほど通っていた時期がある。その時は「社会不安障害」と診断され、それ用の薬を飲んでいたがまったく良くならずにフェードアウトしてしまった。

毎週だったか隔週だったか、先生と話す時間もほとんどなく効かない薬をもらうために通っていたようなもので、「精神科」とか「心療内科」に対して不信感を抱くようになった。

今回もその時と同じように、まず悩みや家族構成を聞かれる問診があって、そのあと先生と話す流れだった。流れは同じでも話す時間は違う。1時間くらいかかったと思う。「これは予約取れないわけだわ」と好印象。

現時点であえて診断名を付けるなら、「社会不安障害(社交不安障害)」や「視線恐怖症」だろうと言われた。僕から「発達障害でしょうか」と聞いたわけじゃないが、生まれ持った気質よりもこれまでの環境、とくに両親の態度に原因があるだろうというニュアンスだった。

こういう原因探しは自分に都合のいいストーリーを組み立てがちだと僕は思うが、改めて指摘されてみれば確かに一理あるんだよな。

「子供のくせにw」と、何を言っても小馬鹿にしてまともに話を聞いてくれない両親。意味不明なタイミングでキレる父。「お母さんを困らせるな」と、母の機嫌を取るためだけに叱る父。それをいいことに嘆き悲しむ母。ゲームもダメ、テレビもダメ、お小遣いはごくわずか。「欲しいものがある」と言うと聞いてくれないばかりか不機嫌になる母。言うことを聞かないと人格否定したり、殴ったり蹴ったりしてくる父。ヒステリックに泣いたり手当たり次第に物を投げてくる母―。

僕は親が怖かったし、楽しんでいる姿を見せたら不機嫌になると思っていたし、悩みがあっても相談しようと思えなかったし、いつも心が休まらなかった。それはまぎれもない事実だ。

でも肝心なのは親を責めることじゃない。そんな家庭環境に適応するために身に着けた振る舞い―相手の顔色を過度にうかがい、警戒し、自分を押し殺すこと―が社会生活で邪魔になっていることだ。

「人の中に身を置いて徐々に慣れていくしかない」と先生は言っていたが、まさにその通りだと思う。

続けて先生は「でも段階を踏んでいかないと辛いだけになってしまう」とも言っていた。これには心当たりがある。これまで断食道場に行ってみたりサポートステーションに通ってみたりアルバイトしてみたり旅行してみたり、自分なりに外の世界に慣れようとしてきた。でも帰ってくるとすぐに元の生活に戻ってしまうんだよな。やっぱり家は居心地がいいから。

外ではうまくいかないことがたくさんある。とくに僕は社会的スキルが乏しくその割にプライドだけは高いから、必然的に嫌な出来事が多くなってしまう。

最近はそんなネガティブな感情も捉え方次第で何とかならないかと試行錯誤している。その方向性は間違っていないと思うが、それ一辺倒では限界があるだろう。

強い不安を覚えるとき、ネガティブな感情に捉われてしまうとき、先生や薬の力を借りて徐々に自信をつけていく方法もありかもしれないと話を聞きながら思った。

希望するなら通院以外にも、デイケアや入院という選択肢もあるとも言われた。精神科に行くと決めたときも、いざ病院に行って入るときも、「自分はそこまでひどくないんじゃないか」と思う。でも自分でいくら考え方や捉え方が変わったと思っても、悩みが相変わらずあることは事実なわけで、一人ではどうしようもないという確信もあるし、頼れる可能性のある場所があるなら試してみてもいいんじゃないか。

とはいえ不信感が完全になくなったわけじゃない。とりあえず通ってみて、場合によっては通院以外も考えてみようと思う。

心の専門家のお手並み拝見と行こうじゃないか。