ひきこもりから自立を目指す

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働くことに違和感と抵抗がある

ネットを断った1週間、あまりにも暇すぎたので、部屋を整理した。

いろいろな物を手に取っているうちに、今、身の回りにある物一つ一つに、どれだけ多くの物と人が関わっているかとしみじみ思った。

部屋にこもっていると、ついそこだけで世界が完結しているように錯覚してしまう。

「ただ乗り」している後ろめたさや世間体ではないく、(珍しく)純粋な感情として、「社会に貢献してもいいかな」という気持ちがよぎった。

部屋の整理に何日もかかるわけもなく、すぐに暇を持て余して、今度は散歩に出かけた。

社会参加が意識にあったからだろう、町のいたる所に誰かの働き場所があることに気づいた。そのどこか1か所にさえ関わることができれば、立派に貢献できる。働くということは、僕が思っているほど特別なことじゃないのかもしれない。

でも通りすがりの工場で、店で、建設現場で、自分が働くことになるかもしれないと思うと、急に不安になって、そこが嫌な場所に見えてくる。場所そのものというよりも、そこで働く人たちが怖い。

母が職場の話をすると、そこでは誰かにとって怖いおばさんかもしれないと思う。妹は某デパートでアルバイトをしている。気兼ねなく話せる妹が、そこでは店員なんだ。なんだろうこの違和感は。

これまでの数少ないアルバイトでも、同世代の人たちが働いている姿を見て似たような違和感を覚えた。「どうして僕と同じかそれより若いのに働いているのか」と。

そういえば、僕は親しい人が働いている姿を見たことがない。強いて挙げれば、祖父の農作業を手伝ったときくらいか。あとは皆、オフの姿しか知らない。逆に働いている人からは、オフの姿を想像できない。というか想像したことさえなかった。

誰もが公私の両面を持っているという当たり前のはずのことが、感覚的に理解できない。

快適な部屋にずっとこもっていれば、それも当然か。部屋の中と外は、文字通り世界が違う。普段はこんなに落ち着いているのに、ひとたび部屋を出れば母の一挙手一投足に感情を乱され、さらに家を出れば、もはや別人になってしまう。

それと同じように、自分の部屋でする作業は全く苦にならない。家事もそれ自体は苦じゃない。ただ母の負担を減らすことに葛藤がある。それが家を出るともうだめだ。

働くことに対する言いようのない違和感と抵抗は、ただ単純に、外の世界を知らなすぎることが要因かもしれない。