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退屈な一日だった

放送大学での勉強も、去年から始めたギターも、趣味でやっているアプリ開発も、やっていて楽しい気持ちよりも、それをできる自分でありたい気持ちの方がはるかに強い。

何のとりえもない自分じゃダメだと思う。他人と比べて(少しでも)できることをかき集めて、ようやく自分を認めることができる。

自分よりできる人を見れば劣等感を覚えるし、今できることを、事故や病気で失うことが怖い。これでは、どんな状況になっても安心できそうにない。

行動だけじゃない、所有物もそうだ。その物の用途よりも、それを所持している自分でありたいから持っている。僕は働いていないから、高価なものは買えない。だから、物珍しさやコストパフォーマンスで自分を納得させている。

外から見た自分がどうあるべきか。それが何をやるにしても一番重要になっている。

自分を認めたい、認めてもらいたいという気持ちを、うまく原動力にできる人もいるかもしれない。でも僕には向いていない気がする。現に、何をやっても中途半端なまま止めてしまう。

そんなことを考えて、今日は「~できる自分」という、いわば邪念が入り込んでいる行動をやめて生活してみた。

読書をしようと思ったが、その知識を持っていることが目的になりそうなのでやめた。ギターもダメだ。アプリにも手を付けられない。意外にも、ネットを徘徊することもできなかった。そうすると、なんとなくテレビを見るか、寝るか、食べるかくらいしか思いつかない。

結果、非常に退屈な一日だった。