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【放送大学】単位認定試験が終わった!

放送大学の単位認定試験がすべて終わった。今学期は科目数こそ少なめにしたが、その分丁寧に勉強したので楽ではなかった。さらに最近は、勉強することの意味を考えてしまいがちだったので、モチベーションを維持するのも大変だった。

純粋に勉強したいだけなら、試験対策をする必要はないし、単位認定試験を受けに行く必要もない。放送大学で勉強して、単位認定試験を受けて、いい成績を修めることが、心の支えになっているということか。

僕は去年、3年次編入という形で勉強を始めてから、これまで2回試験を受けて、いずれも成績はとてもよかった。もともと時間だけは有り余っているクソニートだったこともあるが、良い成績というものはそれだけで説得力があって、それを根拠に、自分は「努力できる」とも、「要領が良い」とも、「地頭が良い」とも、ある程度自由に解釈できる。自己肯定感に飢えている僕にとってはまことに都合がいい。

今回も成績が良かったら、「放送大学での勉強方法」と題してこのブログに書こうとも思った。もし書いたとしたら、ただ方法だけを淡々と書いているように装いつつ、自分と同じ解釈を他人にも求めて、そこに誘導するようなアピールをさりげなく盛り込むだろう。

「テキストは〇回読めば十分だと思うが、今回は時間があったので〇回読んだ。それから関連する本を読んでみたら~が特に役に立った」

ここでは、飲み込みの速さと、根気、意識の高さをアピールしている。こんな感じで、隙あらば遠回しにアピールする癖がある。過去の記事を見返してみればひどいもんで、アピールのオンパレードになっている。思ってもないことを書くこともある。そもそもこんなことをブログに書き続けること自体、自己肯定感につなげたい意識のあらわれだよな。もはや病的なレベルかもしれないと、僕以上にアピールが激しい母を見ていて思わなくもない。

勉強していると、いろいろな種類の「心理療法」がたびたび登場する。その根底には「傾聴」や「受容」がある。自分を何らかの形で表現したら、それに対して相手が興味を持ってくれた。さらに肯定もしてくれた。そう感じることに意味があるという。

自分の内面を一旦外に出して相手に渡して、それを「現実感と肯定的な雰囲気を帯びた形」に加工してもらって、自分の中に戻す。心理療法とは、この過程を繰り返すことによって快方に向かうものだと僕は思っている。その意味では、人と関わること自体にも似たような効果があるはず。

ひきこもっていて直接的な関りが無くても、自分のアピールをふんだんに盛り込んだ文章をブログに書いて公開すれば、それを誰かが見て、期待した通りに受け取ってくれるだろうという期待が生まれる。むしろ間接的だからこそ、都合よく解釈できる。

でもそれを自己肯定感の根拠にしてしまうと、「その文章を書いた自分」を認めてもらうことが目的になって苦しむことになる。もし事故や病気でその文章が書けなくなったら、人としてゴミなのかと。こんなことを、最近は何をやっていても思う。勉強も例外ではない。