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【読書】ソウルダスト <意識>という魅惑の幻想

ニコラス・ハンフリーという心理学者による「ソウルダスト」という本を、図書館から借りてきて読んだ。

 

ソウルダスト――〈意識〉という魅惑の幻想

ソウルダスト――〈意識〉という魅惑の幻想

 

 

意識とは何か、どういう過程を経て何の役に立っているのか、自我を持つことで死を恐れるようになったが、それに立ち向かうためにはどうすればいいか、といったことが書かれている。僕にとっては難解だったが、意識を周囲に投影しているという考え方が新鮮で面白かった。本の要点を抜き出す練習も兼ねてまとめてみたい。

意識の成り立ち

まずは、意識がどういう過程を経て今の状態になったのか、生物史をさかのぼって書かれている。人間の祖先は植物と違い、自由に移動できる能力を持っていた。そのため環境の変化が大きい。次第に、反射的に反応するだけでは生き残れなくなってきた。そこで、反応している自分自身をモニターすることで、何が起こっているのか把握するようになった。さらに時間が経つにつれて、反応をそのまま外部に表現することが適切ではなくなり、内在化(私秘化)が進み、頭の中に隠されるようになった。

感覚や記憶の情報をとりあえず放り込んで、そこからどんな感情が起こるかモニターして、適切な行動を決めているということか。

この内在化された反応が、今ある「意識」と感じられるようなものになるまでには、まだ変化が必要だった。その様子を、著者は数学を使って説明しようとしているが、僕には理解できなかった。でもそれによって、例えば「滝の水が流れ落ちるのを眺めているとき」のように、実際にその感覚が起こっているよりも長くそこにあるように感じられる「厚みのある時間」が生まれたという。

意識の役割

次に「何のために意識があるのか」について書かれている。意識は例えば鳥の翼のように、なにかできないことをできるようにするのではなく、それを持つことで、生きがいが生まれることに意義があるという。とくに人間の場合は、次の3つが挙げられている。

人間は現象的意識を持つことを満喫する、自分が現象的意識を持って生きている世界を愛する、現象的意識を持っている自己を尊ぶ、と。
(ソウルダスト p.97)

「存在すること」を楽しむ

哲学者のトマス・ネーゲルは「人生を良くする要因も悪くする要因も取り去ったとしたら、そこに残るのは中立的なものではなく、あくまでポジティブなものだ」と言った。この引用のあと、「存在すること」の喜びを綴った、詩人たちの言葉が引用されている。

喜びと言えば、私は今、片手で書きながら、もう一方の手でネクタリンを口元に持ってきている。なんたる素晴らしさ。柔らかく、果肉が多く、どろっとして、汁がしたたるネクタリンが、喉を下っていく。美味なふくよかさが、祝福された大きなイチゴのように、私の喉を溶けて下っていった(ジョン・キーツ
(ソウルダスト p.104)

それから、ほどなく厄介事を取り除いてくれる
シーツのひんやりした優しさ、そして、毛布の
荒く雄々しい口づけ、木目のある材木、
輝く自由な髪の毛、もくもくと湧く青い雲、大きな機械の
鋭敏で冷静な美しさ、
お湯のありがたさ、毛皮の触り心地、
古い服の良い匂い、そして、それに類するもの ―
優しい指の気持ちいい匂い、
紙の芳しさ、そして、枯葉や去年のシダの周りに
残っているカビ臭い強烈な臭気……。(ルパート・ブルック)
(ソウルダスト p.105)

動物も楽しむ

人間以外の動物にも、存在することを喜んでいるようにしか見えないことがある。その例はチンパンジーを筆頭にいくつか挙げられているが、僕は飼っているカメのことを思い出した。カメが甲羅干しをしているとき、足をだらんと延ばしてうつらうつらしている様子は、そのようにしか見えない。何度も陸に上っては水に飛び込んで、遊んでいるようにしか見えないこともある。

人間だけが死を恐れる

「存在すること」を楽しむこと、つまり五感を楽しませるという目標を持っている生き物は、生きていること自体を目標に持つようになると、著者は主張する。そして人間の場合は、同時に死を恐れるようにもなったと。人間以外の動物が死を恐れることができない理由としては、次の3つが挙げられている。

・まだ自分の身に起こったことのないことを、思い描けるとは考えづらい
・文化の助けがなければ、「死ぬこと」を一般化して自分を含めるまでには至らない
・死が終わりであることを理解することができない

ここではチンパンジーが、死を理解できずに苦労する様子が紹介されている。人間に一番近いといわれるチンパンジーですら難しい。だから人間だけが死の予感を持ち不安になる。そして、ひときわ生存に執着するようになる。

「そのもの自体が存在すること」を楽しむ

先に「存在すること」の喜びが綴られた詩がいくつか引用されたが、そのもの自体が現に存在する事も、嬉しく感じる原因だと著者はいう(ブルックの詩のように、たとえそれが、ありきたりで役に立たないものであっても)。

雨上がりの森を散歩しているところを想像してほしい。しずくをしたたらせる木の葉を通して日差しが注ぎ、ウタツグミがさえずり、サクラソウの芳しい香りが濃密な空気に拡がる。あなたはこの眺めと音と匂いの世界で、あなたでよかったと感じるだろうことに疑いの余地はない。だが、同時に、サクラソウが黄色で、木の葉が濡れていて、ツグミが声を震わせて鳴いているのはいいことだとも感じるのではないのだろうか?
(ソウルダスト p.140)

つまり、そのもの自体がはじめから価値を持っていて、それを自分が受け取っているように感じられるということだ。たしかになんてことないはずのものに、幸せを感じることがある。とくに幼少期のころは多かった。季節ごとの匂いだったり、遠くを走る電車の音だったり、こするとイチゴの匂いのするシールだったり、陶器のつるつるした質感だったり。

意識を周囲に投影する

最初の方で書かれているように、意識の起源は頭の中に内在化された反応だった。その意味では、サクラソウも木の葉もツグミも、全部幻想にすぎない。それにもかかわらず、自分の外側のものにはじめから価値があると感じるのは、その幻想を頭の中から外側のものに「投影」していることになる。

それは、ラマチャンドランらの実験によって実際に確かめられている。その実験では、被検者は自分の腕が見えないように仕切りを置かれ、その代わりに偽物の腕が見えるように置かれる。そして本物の腕と偽物の腕を同時に撫でると、被験者はまるで偽物の腕の方が撫でられていると感じる。それどころか、偽物の腕ではなくテーブルが撫でられると、今度はテーブルが撫でられていると感じるという。

この実験を、著者は「トマトを眺めている場合」に置き換えている。暗闇にあるトマトを懐中電灯で照らした時、トマトが照らされると同時に眼球の網膜も照らされる。感覚を持っているのは網膜の方なのに、網膜ではなくトマトの方が照らされていると感じる。さらに、トマト自体が赤い特性を持っているように感じる。自分がものに特性を与えているのに、まるで世界がそうできていると錯覚しているということだ。

このように自分の周囲に特性を与えることで、「音も香りも色もない、意味もなく物質がせわしなく動き回っているに過ぎない世界」が「気持ちのいい世界」になる。それが生きる喜び、ひいては生きる意義になると著者はいう。

僕は最近、いずれ死ぬのにどうして生きるのかと思うことが多い。それについて少しでも考えれば、納得のいく答えなど見つかるはずがないと分かるのに、ましてや頭のいい学者たちは、そんなこと分かっていないはずがないのに、どうして興味をもって情熱を注げるのか、不思議でしょうがなかった。でもそれは見当違いかもしれない。この章の終わりに、数学者のポアンカレの言葉が紹介されている。

学者が自然を研究するのは、それが役に立つからではなく、楽しいからであり、楽しいのは、自然が美しいからだ。もし自然が美しくなかったら、知る価値はないだろうし、人生も生きる甲斐がないだろう
(ソウルダスト p.156)

自由意志

自分には当然「意志」があると感じる。でもそれは、「行動するのを決める」までの脳内の過程が、自分には見えないからだ、と著者はいう。これは前に読んだ本のように、「理由はすべて後付け」と言い換えることができると思う。

hiki-jiritsu.hatenablog.com

でもこれ以降は、まるで自由意志があることが前提のように話が進んでいて、そのつながりが理解できなかった。でもそれは「心的現実のレベルでは」という意味なのかもしれない。

あなたは、すべて自分に由来すると信じることを望まないかもしれないが、信じるのが可能であることに疑問の余地はない。そして、そう信じる以外にないと気づいたときには、最初どれほどがっかりしようと、天啓のように悟るだろう。自然の退屈さではなく、あなた自身の心の素晴らしさを。
(ソウルダスト p.172)

ソウルダスト

いずれにしても、自分の五感があるおかげで世界が楽しく感じられる。この世界に意味を与えているのは自分自身だ。実際うつ病の人は、色のコントラストに対する感受性が低くなっていて、文字通り「世界が霞んで見える」らしい。

gigazine.net

魂の無数のまばゆいかけらを、周りじゅうのものに振りまくことを表した「ソウルダスト」という言葉が、本書の題名になっている。

自己愛

解離性同一性障害(多重人格)のように、自分は一つのまとまりだと、みなせなくなることがある。健康な人でも寝起きに、自分らしさを少しずつ繋ぎ合わせていくことがあるという。僕にも似たような経験がある。ある朝起きたら気分がふわふわしていて、普段はまるで反抗期のように接している母に対して、自分から話しかけそうになった。でもだんだんと普段の振る舞いを思い出して、話しかけられたときにはすっかり戻って、適当な返事であしらった。

著者は自身の子供を観察した経験から、人間の赤ん坊も同じように統一した自我はなく、はじめは複数の「私」が存在していて、それが3歳くらいまでに一つにまとまっていくと主張する。

そうして、「自分」と「自分でないもの」に分けたとき、「自分」だけが確かに存在していると感じる。「自分でないもの」とは比較にならないほど興味を持つ。それが自己陶酔状態を作り出し、自分自身でいることを願うようになる。ひとたびそうなれば、自分自身をさらに高めようと、自然に向上心が生まれるという。

心の理論

自分に魅了された子どもはすぐに、ほかの人にも同じことが当てはまるのではないかと推測するようになる。「心の理論」と呼ばれるもので、やがて「意識を持っているのは自分だけではない」という事実に気づく。それによって、自分は自分と同じような個人の集合体の中の一部だという実感が生まれ、相互に尊敬しあうことを促し、これが人間関係を一変させたと著者はいう。

生きる理由が欲しい

自己陶酔状態になってしまったことで、死はさらに恐ろしいことになった。しかしそれが、より死を避けようと頑張る理由になるという。

進化精神医学者のランドルフ・ネシーが、「不快に感じることが何になるのか?」という論文で指摘しているように、「感情は、幸福ではなくダーウィン適応度を最大化するようにできている」
(ソウルダスト p.210)

でもそれだけではないともいう。逆に不安に押しつぶされてしまうこともあるからだ。人間は間違いなく死ぬ。どんなに努力しても、せいぜい遅らせることしかできない。

木の葉は幸運だ
散るのを予測できないから。 ……
だが、そらんじたメロディを口笛で吹ける人間はどうすればいいのか?
ミズナキドリの鳴き声のように、死によって不意に自分の命が断ち切られる時を、
はっきりと知っているのだから。(W・H・オーデン)
(ソウルダスト p.211-212)

人間は、人生を正当化する物語を重視する。とくに何か障害にぶつかったとき、それを乗り越える原動力として「生きる理由」が欲しくなる。その場しのぎの答えならいくらでも見つかるだろうが、いずれ死ぬという事実は、それらの根拠をことごとく揺るがしかねない、とある。まさに最近の僕だ。

自殺を思いとどまらせる何か

アメリカの高校生のうち、60%が自殺を考えたことがあり、14%が過去1年間に自殺を真剣に考えたことがあり、5%が自殺を試みたという。仮に自分で死ぬことを選ぶ人ばかりになれば、人類はたちまち絶滅してしまう。しかし、少なくとも自分の祖先は全員、早々に死ぬことはなく子供を作った。現に人類が存続しているということは、自殺を思いとどまらせる何かがあったはずだと著者は考えた。

死にまつわる不安に立ち向かう戦略として、次の3つが挙げられている。

・現在のために生きる
・死後も残る文化的存在と一体化する
・死は終わりではないと信じる

現在のために生きる

「今を生きる」という言葉は自己啓発本に頻繁に登場するイメージがあるが、過去に多くの哲学者によって語られてきたことらしい。その中の一つに、デイヴィッド・ヒュームの言葉が引用されている。

私は友人たちと食事をとり、バックギャモンに興じ、会話し、楽しむ。そして三、四時間、気晴らしをしたあとにこうした思索に戻ると、その思索がひどく面白みを欠き、不自然で馬鹿げたものに思えるため、思索をそれ以上深く進めようという気になれない。
(ソウルダスト p.226)

これにはものすごく共感できる。ひとたび人の中に行くと、普段考えていることなどまるで吹き飛んでしまう。一人でいるときと別人のようになってしまう。

hiki-jiritsu.hatenablog.com

イギリスのBBCが、視聴者に死ぬ前にしたいことを尋ねたアンケートによると、その上位50項目のほとんどが、新しい経験だった。古代ギリシアアテナイで疫病が流行ったときは、命ある限りやりたい放題に過ごすことを互いに勧め合ったという。たしかに「人生は一度きりだから楽しまなきゃ損」的な言葉は、インターネットでもよく目にする。その一方で、普段通りの行動を大切にする傾向もあるということが、アメリカのテキサス州の死刑囚の多くが、残されたわずかな時間を食事に充てた例を挙げて書かれている。

いずれにしても、なにかに没頭できる状態を作り出そうとする点では共通している。没頭している間は、未来のこと、やがてやってくる死のことを考えずに済む。しかしそれは一時の気休めにすぎず、それどころか経験すればするほど、もっと経験したくなるといって著者は批判している。

死後も残る文化的存在と一体化する

(ある意味では)自分が作り出した世界が、自分の死後も続いていくと思い込ませる戦略もある。そこでは哲学者のバートランド・ラッセルの言葉が引用されている。

[死の恐怖を]克服する最良の方法、少なくとも私にそう見える方法は、徐々に関心を広げ、非個人化していき、やがて少しずつ自我の壁を遠のかせ、次第に人生を普遍的な生命に溶け込ませることだ。
(ソウルダスト p.235)

自分の子孫や仲間に対して思いを託すことは、本能的な基盤とも合致するはずだ。でもこの場合は、「自分が大切にするもの」が本当に存在し続けるかを、心配し続けなくてはいけないと著者はいう。

死を意識すると態度に変化が起こることが知られていて、権威にすがったり、部外者をひどい目に合わせたり、主流派のヒーローたちをたたえる傾向が見られるという。それを支持する実験結果がいくつか挙げられていて、例えば葬儀場の近くで呼び止められて質問に答えた人は、そうでない人と比べて、自分と同意見の人の割合を高く見積もる傾向が強かったという。

それでも文化的なものに安心感を求めることは、苦痛を和らげる助けにはなると著者は認める。しかし結局のところ、一部の仏教徒のように厳しい鍛錬を積まない限りは「今、自分が生きている」ことから抜け出すことはできず、「いくら死を乗り越えようとも、自分でなければ意味がない」という気持ちから完全に逃れることはできないという。

死は終わりではないと信じる

残された選択肢は、個人は不滅だと信じることしかないといって、ここではその条件と証拠が、また3つ挙げられている。

・自我は肉体に縛られない非物質であること(肉体の死後も生きられるように)

肉体と精神が分離しているといういわゆる「二元論」的な感覚は、生まれながらにしてあるという主張が、多くの心理学者や人類学者によってなされているという。

・自我はそれだけで独立して生きられること(「自分」として生きられるように)

ここでは夢を証拠に挙げている。眠っているときは肉体が停止して一切の刺激を受け取っていないのに、何かを感じていることができると。

・自我には無限の耐久性があること

夢と関連して睡眠からの目覚めを挙げている。完全に消滅したはずの意識が、目覚めとともに無から現れると。

このように人間は、死後の世界を信じるに足る理由をはじめから持っていて、さらにそこに文化的に刷り込みが加われば、盤石なものになると著者は主張する。つまりこのことこそが人生に意味を与えてくれるもので、自然選択によって備わったものだと。今後科学が発展して、それを否定する事実が明らかになったとしても、ちょうど分かっていても騙されてしまう錯視のように、どう感じるかが変わるわけではなく、不滅の魂という信念は持ち続けるだろうと。

だいぶはぐらかされている感じがするし、結論ありきのこじつけのような気もする。でもだからといって著者は「宗教万歳」と主張するわけでもなく、このあとむしろ邪魔になるというようなことも言っているので、理解不足なだけかもしれない。最後にこの部分を長めに引用しておく。

たしかに、進化心理学者のなかには、宗教的信念がりっぱな生物学的適応だという人もいれば、人間の脳には遺伝的に構築された「神のモジュール」があると主張する人さえいる。だが、これは証拠と合致しないと私は思う。神が存在するという信念は十分古いものである証拠も、そうした信念は個人の生存の可能性を高めるという証拠もない。対照的に意識が原動力となった精神性には適応性があるという主張は、ずっと長い歴史を持つ証拠や、個人が生きていく上で成功するのにずっとかかわりの深い証拠に基づいている。それどころか、精神性はおそらく宗教抜きの方がずっと適応性があると私は主張してもいいぐらいだ(が、本書のこれほど遅い段階で、そんなことは控える)。なぜなら、宗教的な信念(とりわけ、神が存在するという信念)は、精神性にとって、いわば、足手まといになるからだ。
(ソウルダスト p.256)

分子進化の中立説

本書では一貫して、今の状態は「自然選択」によって進化してきた結果なんだから、何かしらの形で生存を助ける役割があるに違いないと、繰り返し主張されている。でも放送大学の「生物界の変遷」という科目の中で、「分子進化の中立説」という言葉が出てきた。それによると、自然選択だけでなく「遺伝的浮動」という偶然性にも支配されているという。

生物はすでに環境に適した形になっている。だから今以上に有利になる突然変異は起こりづらい。逆に不利になる変異は多く起こるが、自然選択によって消滅する。結果的に、有利にも不利もならない変異が、偶然広がって、固定されることが多くなるという説だ。

たしかに意識を持つことで生存は有利になったかもしれないが、その機能のすべてが価値を持っているという主張は、言いすぎな気がする。まあ著者がそれを知らないはずもないから、分かったうえで言っていることなんだろうけれども、意識に全く価値がない可能性だってあるんじゃないかと、一丁前に意見してみたくなった。

 

ソウルダスト――〈意識〉という魅惑の幻想

ソウルダスト――〈意識〉という魅惑の幻想