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【回想】小学4年生(随時更新)

hiki-jiritsu.hatenablog.com

クラスメート

僕の小学校は2年に一度クラス替えがあったが、この年も例外的にクラス替えがあった。新しく同じクラスになった中に美人な女子がいて、僕は気を引こうと、鉛筆等を使ってしきりに机をぼこぼこにしていた。この意味の分からないアピールが功を奏したのかよく話すようになった。僕は当時ボーイソプラノで、音楽の時間に得意げに歌っていたらその女子に褒められてうれしかった。


札幌の空(2部合唱)

だいぶあとから気づいたが、3年生から通い始めた水泳教室にその女子もいた。僕は順調に進級して年相応のレベルになりつつあったが、幼稚園児に混ざってバタ足していたころを見られていたかもしれないと思うと恥ずかしかった。僕の上の妹のことをしきりに「可愛いと」言ってきて悪い気がしなかったが、兄妹と分かるほど一緒にいたのは水泳教室のときくらいだから。

その女子は元から親しかった人気者の男子を「ちゃん付け」で呼んでいて、嫉妬していたことを覚えている。その友達はサッカーをやっていたが、「ボールを取りに行くとすぐにファールになるから、上手く取れるようになりたかった」と、始めた理由を聞いてもないのに言ってきて、「優等生アピールかよ」と思った。実際絵に描いたような優等生で、のちに地域で一番偏差値の高い高校に進学していた。それからあるとき、その女子が股間に手を当てて匂いを嗅ぐところをみて、見た目とのギャップに驚いた。そういうこともあって、少しずつ気持ちが冷めていった。

「クラスメートと親睦を深めよう」みたいな流れがあって、その女子と仲のいい女子の家に遊びに行ったことがる。その家には巨大なハリネズのような動物が闊歩していてびつくりした。音楽の時間に「四季の歌」を歌っていたとき、その女子の歌声が、子供ながらに郷愁を誘うので好きだった。


芹洋子 「四季の歌」 YouTube

担任

担任の先生はスポーツマンで、小学校内で陸上クラブの監督をやっていた。クラス内でも「朝トレ」と称して、始業前に運動できる時間が設けられていた。そのころから短距離走が得意になったように思う。その先生は少しオラついていて、僕は結局最後まで慣れることができずなんとなく苦手だった。話しかけられるたびに愛想笑いでごまかしていた。家庭訪問のとき、その日訪問のある他のクラスメートと一緒に、先生の車に乗って下校した。これまでの先生とは明らかに違う距離感にワクワクしたが、くそ真面目だった僕は一方で、こういうフレンドリーなところが苦手だったのかもしれない。 でも振り返ってみるとトップクラスにいい先生だったと思う。

光る泥だんご

先生は学級通信に力を入れていて頻繁に発行していた。あるとき、僕が書いた日記の文章が素晴らしいといって、そこに載ったことがある。でもそれは、家にあった絵本の文体をパクったものだった。それなのにまるで自分の手柄のように誇らしかった。内容は「光る泥だんご」だった。そのころはそれがマイブームだった。

 

光る泥だんご 初・上級編[DVD]―Dorodango/Shining Mudballs

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流行りに乗るのを完全にあきらめる

この時期同じ公営住宅ではベイブレードが流行っていたと思う。「3・2・1 Go シュート!」という掛け声が、階段の踊り場にこだましていた。すっかり流行に乗ることをあきらめた僕は、もはや見に行くことすら無かった。でも庭で野球やサッカーをやるときは一緒に遊んでいた。学校の友達の中では野球が流行ったこともあって、あまり困ったことはなかったと思う。でもひとたびゲームやテレビの話になると全くついていけないので、その話で盛り上がっている後ろからトボトボついていったような記憶がある。

レタリング

図工の時間に「レタリング」を習った。明日の予定表にそれが書かれたとき誰もレタリングという言葉を知らず、レスリングのことではないかという結論になった。でも図工だから、それは違うんじゃないかという意見もあった。

マラソン大会

毎年冬に開催されるマラソン大会は、僕の中で一番嫌なイベントだった。だから先生の主催する陸上クラブに入っている人は、言葉こそ知らなかったがドMなんじゃないかと思っていた。でも大会の練習期間中は音楽を流して走る時間があって、テレビに厳しい家庭に育った僕にとってはいろいろな歌を知る貴重な機会でもあった。


みどりのマキバオー OP「走れ!マキバオー」

僕は長距離走も苦手ではなく、むしろ順位的にはかなり上位にいた。しかしその年、僕はタイムで一つ下の妹に負けた。妹は運動が得意で、いつも学年で1,2位を争っていたから仕方ない。とはいえ僕にも年上のプライドのようなものがあったから悔しかった。妹に「すごいじゃん」と言って大人の対応をしたあと、押し入れにこもってシクシク泣いた。

クリスマス

マラソン大会さえ終われば、あとはクリスマスに年末年始と楽しいイベントが立て続けにやってくる。でもその頃になるとサンタさんはいないと確信していたので、相手が両親だと思うと何も頼めなくなってしまった。その年は結局サンタさんにお任せした。これがまずかった。届いたのは「21世紀こども百科 科学館」と木でできたコマ、それからチープな電子工作のキットだった。

 

21世紀こども百科 科学館

21世紀こども百科 科学館

 

 

今思えば両親なりに、(ゲーム以外で)僕が興味を持ちそうなものを選んでくれたのかもしれないが、あまりにも欲しくなくて鳥肌が立った。「一年に一度のチャンスにこれかよ」と泣きそうだった。 このうち科学館については何度か読んだが、それ以外はその後どうなったのかほとんど覚えていない。でも両親を失望させるわけにはいかないと思って、僕はもらいたてのコマを回しながら健気に喜んで見せた。

スキー教室

僕の小学校では4年生から6年生まで、毎年一度、泊りがけのイベントがあった。初めてのこの年は「スキー教室」だった。僕は何度か経験があったので「初心者コース」には入らず優越感に浸っていた。事前にスキーの経験があることをしきりにアピールしていたが、いざ滑ってみると、上手い人には全く敵わなかった。同じ公営団地に住む同級生が、リフトの近くの壁に激突してスキー板を折って話題になった。

離人

宿泊施設の食堂で夕食を食べているとき、不思議な感覚に襲われた。外の世界がすごく遠く感じて、今自分がどこで何をしているという感覚が薄れた。友達から話しかけられると一応答えられるが、適当な返事しかできなかった。2,3年前に調べてみたらこの感覚を「離人感」というらしく、慢性化すると「離人症」というらしい。僕の場合はその後数年で何度か同じような感覚に襲われたが徐々に消えていった。

1/2成人式

小学4年生は10歳になる年だということで「1/2成人式」があった。保護者の前で一人ずつ将来の夢を発表していった。僕は何を言えば無難かと考えた結果、野球選手になりたいと言った。引きこもりになるとは夢にも思わなかった。

無邪気な妹

その年は、僕ら3人兄妹の上二人が通っていた幼稚園に下の妹が入園した。僕が低学年の頃の校長がその幼稚園の園長になっていて、勝手に縁を感じていた。妹は入園早々、友達と二人で机の下に隠れてパンを踏んだ。それについて母がかなりショックを受けていた。幼稚園では「○○ちゃん、○○ちゃん、どこでしょう?」と先生が問うと、「ここです、ここです、ここにいます!」といって答えることになっていたらしく、家でも誰かが問うと、妹は元気よく手を挙げながらしきりにアピールしていた。パンを踏んだことにしても、こういう無邪気さが上二人にはあまり無かったので、少しうらやましいと同時に可愛いと思た。

いじめ

3年生の回想で登場した友達Cとはこの年も同じクラスで順調に仲良くなっていた。Cも僕も二人でいると気が大きくなるタイプで、クラスメートの名前をもじってバカにして先生に叱られたことがある。それで終わればよかったのに、さらに大きなしくじりを犯した。

クラスにおとなしく特徴的な咳ばらいをする男子Sがいた。僕らはその咳ばらいをまねしたり、替え歌を作って(例によって僕は便乗して)からかったりしていた。そのころは机の整頓がしやすいように、床に印がつけてあった。Sは僕の真後ろの席で、Sが少しでもその印をはみ出すたびに、強い口調で注意した。教室には「落とし物箱」があって、ある時僕らはSの持ち物をそこに入れた。Sが探し出すと、「ここにあるじゃねーか」的なことを言いながら投げた。スキー教室では、僕とCとSが同じ班だった。僕とCは、「あれ、Sってどこの班だっけ?」というやり取りをしてからかった。罪悪感はないどころか、そういうやりとりが面白く、今思えばコントのような感覚だった。

3学期の終わりころ、Sが学校を休んだ。クラスではどうやら「いじめ」が原因らしいというわさが流れた。まずいことになったと思った。その日の朝の会で先生が、「S君をいじめた覚えのある人は立ちなさい」と言った。隠し通せるわけがないと思ったから、誰よりも先に立った。その方が印象が良いという計算があった。そしたら驚いたことに、男女合わせて10人くらいが立った。それぞれほかの人にばれないようにやっていたらしい。

それから毎日一人ずつ昼休みに呼ばれて、先生から事情聴取を受けた。僕はなかなか呼ばれなかったので、もしかしたら忘れられたのかもしれないと期待したが、ついに呼ばれた。そのころは体育館の掃除係で、それが終わってから体育館の裏で話をした。先生は僕を責めることなく、ただ起こったことが知りたいようだった。でも僕は怒られるのが怖くて、「すみません」といってずっと泣いていた。

取り返しのつかないことをしてしまった以上、それをなんとか正当化しようとした。「唐突な咳払いが心臓に悪い」とか、「いつも机の印をはみ出してきて窮屈だった」とか。でもすぐに限界を感じた。あの時先生は妙に優しかったが、かえってそれが後味の悪さになった。ほかのクラスメートに対しても決まりが悪いし、いつ親にばれるか分からないし、それからしばらくびくびくしていた。

先生は結局、親には言わないでいてくれた。でもしばらくして、僕のクラスでいじめがあったことが母に知られた。スキー板を折った同級生の母親から伝わったらしい。「まさか関係していないよね?」と聞かれた。僕がやったことを知っているのか読めなかった。そのまましらを切れば、ばれずに済んだかもしれない。でもリスクが大きすぎるので「やった」と言った。そしたら一言、「そういうことだけはしないと思ってた」と言われた。僕にはそれが、「なんのとりえもないんだから、せめて人様に迷惑かけないようにしろよ」と言っているように聞こえた。ゲームも欲しいしテレビも見たいし流行りものの話で友達と盛り上がりたいのに全部我慢しているのに、妹たちに対してもいい兄であるように努力しているのに、何もわかってくれてないんだと悲しかった。

Sはそれから不登校になった。同じクラスにSの幼馴染がいて、分かりやすいいじめこそしなかったものの、どちらかと言えばいじめる側にいた。それなのにその一件以降、急に優しくなって、Sと学校の橋渡し役になり株を上げた。5年生になってクラスが変わったが、Sが完全に復帰することはなかった。皆Sのことを「君付け」で呼び出し、少し得意なことを大げさに「○○博士」と煽って、学校に来るたびに盛り上がっていた。それを良しとする風潮が新手のいじめのようにも、僕らに対する当てつけのようにも見えて結局卒業までモヤモヤしていた。