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【回想】小学1年生(随時更新)

心のこと 回想・自分史

hiki-jiritsu.hatenablog.com

入学

小学校では毎月テーマソングがあって、たしか最初は「歩いて行こう」という歌が流れていた。春らしくてワクワクした覚えがある。

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6年生のペア

1年生と6年生がペアになって活動する時間があって、その中に、歩いて行こうとよく似た声の人がいて、その人が歌っているんじゃないかと疑っていた。あと顔が濃い人がいて、心の中で「アメリカ人」と呼んでいた。6年生のペアが修学旅行のお土産を買ってきてくれたとき、ぼくのペアがくれたキーホルダーは周りと比べてしょぼく見えて、引きつった笑顔で「ありがとう」と言った覚えがある。

幼稚園年長から習字教室に通っていたこともあり、習字が得意だった。書写の時間に書いた作品が県のコンクールで賞をもらって、ここから数年、毎年のように表彰される黄金期に入る。それが買われて、6年生が修学旅行に行く前、校長先生に手紙か何かを書いて渡していた。そのお礼に校長先生もキーホルダーを買ってきてくれて、それは金色で豪華そうだったので気に入った。

担任と問題行動

担任の先生は中年女性で、冷たく厳しい印象しかない。今思えば母のイメージを投影していたのかもしれない。このあと僕が問題行動を起こしたこともあって、嫌われていたと思う。

1年生は教室の前で朝顔を育てることになっていた。第一印象として、朝顔の種が鼻の穴の形に似ていると思った覚えがある。双葉が出て本葉がでて、大きくなってつぼみができて花が咲いて、種ができる。この一連の過程にとても感動した。でも忘れてしまいたい思い出もある。

僕の植えた種はなかなか芽が出てこなかった。中にはすでに何本も出ている人もいて、それに嫉妬した僕は毎朝通りすがりに折っていた。僕に全部折られたりして芽が育たなかった人は、ほかの人からもらっていた。それについて先生が、「心無い人がいます」みたいな話をしたとき、僕がやったとばれたと思った。それなのに直接注意せずこうやってみんなの前で非難するのは、僕に対する嫌がらせだと思った。

あるとき先生が「火事を見たことがある人はいますか」と質問して、何人も手を挙げた。でも先生が「テレビで見たのはなしですよ」みたいなことを言っていくと、徐々に減っていった。僕はまだ挙げていた。テレビですら見たことがなかったが、手をおろしたら知ったかぶりだと思われそうで、その時は必死に想像して本当に見たと思い込もうとした。最後まで挙げていたのは僕を含めた2,3人だったが、「そういう人を野次馬と言います」と言われた。「また嫌味か」と思った。

ある日、友達に僕の力を見せつけようと思って、鉛筆を折ってみた。調子に乗った僕は全部折った。その姿を先生に見られた記憶はないが、帰りの会で「物を大切にしましょう」みたいなことを言われて、「ばれていたのか」と思った。

なんで僕だけ

当時、筆箱はやたら多機能なものが流行っていた。鉛筆削りがついていたり、鉛筆を取り出すギミックが凝っていたり。でも僕の筆箱は、形こそ似ていたがシンプルで地味なものだった。他にもほとんどの人が小学生になるタイミングでピアニカを買うのに、僕だけ幼稚園から使っていた形の違うピアニカだったり、僕だけ上履きの袋が母の手作りだったり、僕だけ体育館シューズの形が違ったり、「なんで僕だけ」と感じることがこのころから急に増えた。

給食

幼稚園から変わったことはたくさんあるが、お弁当から給食に変わったことも僕の中では大きい。たぶん精神的なものだろう、呑み込もうとしても呑み込めない謎現象に見舞われた。特にパンは乾燥していて苦手だった。残すときは先生の所へ行って「残していいですか」と言わなくてはいけない。でも一度でOKをもらった試しがない。コップに詰め込んだりして持ち帰るとお母さんにばれてしまう。今思えば途中で捨てるという選択肢もあったが、僕はその場で処分する方法を選んだ。

給食の時間は班ごとに、机をくっつけて食べていた。僕の向かい側には幼稚園のころからの友達がいた。お泊り保育のときに一緒の布団で寝た友達だ。僕はその友達のことを見下していた。給食の処分にこの友達を利用してやろうと思った。弱そうなやつを露骨に見下す傾向は中学卒業くらいまで続く。

まず食べられないものを座布団の下に隠す。そしてスキを見計らってその友達の足元に放り投げて、「おい○○、こぼすなよ」と言って、さもその友達がこぼしながら食べているかのように仕向けた。でもそんな小細工で先生の目を欺けるはずもなく、すぐにばれて親にもばれた。その後どうなったのか、まったく覚えていない。

それから掃除の時間にお漏らしをしたことがあった。そんなこんなで小学生1年目は出だしこそ順調だったものの、なんとなく暗く冷たいイメージが強い。

流行り

教室ではバトルえんぴつと練消しが流行っていた。「私は練消し工場の上の階に住んでいる」と主張する女子が毎日のように練消しを持ってきて、たまに僕も分けてもらった。

 

トーヨー ねりけし _

トーヨー ねりけし _

 

 

宿題

授業の記憶は全くないが、宿題で音読と「計算カード」をやった覚えがある。

 

基本的な算数用具が揃った算数セット さんすうせっと標準版
 

 

幼いころから癇癪もちだった僕は、途中引っかかって思うようなタイムが出ないと分かると泣き出して、読んでないのに飛ばしたり、裏に書いてある答えを透かしてみようと努力した。こういうこともあって、僕は努力して何かできるようになった経験がない。

上級生

このころ同じ公営住宅に年の離れた上級生が二人いて、よく遊んでいた。

そのうちの一人とは、虫関係の話で盛り上がったが、僕の方が知識はあったから、その上級生が適当なことを言ってくることが気になった。その上級生の友達の家に連れて行ってもらったとき、カブトムシの幼虫をもらった。すぐに死なせてしまったが、その上級生が会うたびに幼虫の様子を聞いてきて嫌で仕方なかった。それからまた別の友達の家に連れて行ってもらったときはゴキブリが出て、その退治中に本棚が倒れて僕がその下敷きになったことを覚えている。

もう一人とは、近くの高校の文化祭に行ったことがある。そこで僕は腹痛に襲われてうずくまってしまった。そしたらその上級生が「誰かー」と叫んでくれてうれしかった半面、恥ずかしかった。

手術

その腹痛と関係あるかはわからないが、たしかこの年、「鼠経ヘルニア」になって手術した。お風呂上りに下腹部を見たら膨れていた記憶がある。全身麻酔の前に、「眠くなるよ」と言われてジュースのようなものを飲まされた。僕はそれでぐっすり寝てしまって看護士の人が笑っていたらしい。手術後、ベッドに運ばれる途中で意識が戻ったときは尿意がやばかった。そのあと母に絵本を読んでもらった記憶がある。絵本だからやっぱり文化祭も含めてこの前の年かもしれない。

妹の怪我

そうだ、また嫌な思い出がよみがえってきた。手術よりも前に、上の妹が頭を縫う怪我をしていた。その抜糸のときにかなり泣いていた記憶があったので、僕の場合は抜糸が不要だと知って安心した覚えがある。問題はその怪我が、ある意味では僕のせいだということ。

当時、父のスーツが簡易クローゼットに入れてあって、その上に使わない電話の子機が置いてあった。

 

 

ある時その部屋に行くと、上の妹がそのクローゼットをしきりに揺らしていた。そのまま続ければ子機が落ちそうだと分かっていたのに、その時はむしろ「怪我したら面白い」とさえ思って、そのまま放っておいた。そしたら案の定、頭の上に落ちた。

友達の怪我

もう一つ、同じようなシチュエーションがあった。小学校に入学したあたりから、公営住宅の近所に住んでいる友達ができた。アンパンマンに憧れていて、風呂敷をマントにしているような友達だった。いつものように公営住宅の庭で遊んでいたらその友達が、壁を見上げながら「蜘蛛だ!」といって石を投げ始めた。それは蜘蛛ではなく電線の引き込み口か何かだったと思う。両手を使わないと投げられないほど大きい石を投げげていた。そのまま続ければ怪我をすると思ったが、この時もまたその方が面白いと思って止めなかった。そして案の定、頭の上に落ちた。泣きながら走って帰っていったが、マントが血で汚れた後ろ姿が印象に残っている。ちなみ数年後にまた、この友達に対してひどいことをする。

大吉

父方の祖父母の家は丘の上にあった。僕は坂道を歩くと後ろに倒れそうで怖くて、電車の駅から家までの道のりが苦手だった。それよりもさらに登ったところに神社があって、一度祖父と一緒に行っておみくじを引いたら大吉が出た。祖父はすごく喜んでいたが、僕は全部大吉なんじゃないかと疑った。

たまごっち

祖父母の家に滞在中、妹と一緒にたまごっちを買ってもらった。


初代 たまごっち!

一緒に行った年上のいとこが会計の端数を出してくれて、「大人だな」と思った。 帰りに寄ったレストランでジュースを飲んだ時、ご機嫌だった僕は「ストローで音を立てちゃいけないんだよね」とわざわざ言って、いい子アピールした覚えがある。

いとこ

たまごっちの電池が初期不良か何かで、夕飯前に叔母が電池を買いに行ってくれた。でもなかなか帰ってこないので「先に食べようか」と提案したら叱られた。叔母に悪いことをしたかなと思ったが、僕が寝ている間にたまごっちのケースを作ってくれて、「怒ってなかったんだ」と思ってほっとした。あとは僕がトイレの鍵をかけずに用を足していたら叔父が開けて恥ずかしかったことを覚えている。

いとこの家に行ったときに初めてハムスターを見た。いとこは二人いていずれも年上で、ぼくら兄妹はおさがりの洋服をもらうことが多かった。会ったときに着ていると「それ僕がきていたやつだ」と言われるのがとても恥ずかしかった。

テトリス

この年のクリスマスに、妹と一緒にテトリスJr.をもらった。得意の音を響かせながら庭に遊びに行ったのを覚えている。


TETRIS やってみたい テトリス 懐かしいね

親はゲームに厳しかったが、この手のゲームについては何も言わなかった。

将来の夢

将来の夢は「けんちくか」だった。建築家=大工だと思っていたが、仕事の内容というよりも語呂が良くて気に入っていた。これ以降は夢を持ったことがない。