ひきこもりから自立を目指す

日常や心境を記録中・・・

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これからどうしようか

最近はなんだか気が重い。まあ一言でで言ったら「不安」だろうな。現実と向き合ってみようと思いながら過ごしていたら、不安ばかりが募っていった。

「ひきこもりから自立を目指す」なんていうブログを書きながらもあまり乗り気じゃないのは、すぐに自立しなくても困らないからだ。一人でいられる南向きの明るい部屋があり、パソコンやギターもある。勉強したければできるし、寝たければ寝られる。時間になればご飯ができていて、間食にも困らない。

両親のことは散々悪く言っても、この快適な環境は両親によって支えられている。もし両親が死んでしまったら、僕は生きていけないだろう。どんなに偉そうなことを言ったところで社会の中ではあまりにも無力だ。

社会と距離を置くことで気づけることも多いだろう。でもそれは社会の中では役に立たない。人間は適応的な生き物だから、社会の中に生きている人と僕は、文字通り住む世界が違う。

「印鑑を左に少し傾けて押すべき(お辞儀をしているように見えてるから)」というビジネスマナーは、ずっと家にいる僕には役に立たないどころか「バカじゃないのかな」と思う。「数十年前は受精卵だったくせに、数十年後には跡形もなくなるくせに、なにカッコつけてビジネスごっこしてるんだ?」と。その辺はきっとお互い様だろう。

でもその社会と全く関わらずに生きていくことはできない。今は一時的に両親という盾があるが、いずれなくなってしまう。だから、自分で戦えるだけの力が必要になる。でもその力を付ける方法も、頑張る目的も分からない。自立して何になる?

最近、スキルを身に着けようと思ってアプリ開発を再開した。

hiki-jiritsu.hatenablog.com

そうすると不思議なもので、「何のために」ということが考えられなくなる、次から次へと問題の方から勝手にが飛び込んできて、それに取り組むこと自体が目的になる。現実と向き合っている人は常にこんな感覚なんじゃないか。

思い返せば僕も以前はそうだった。大学2年で不登校になるまで、毎日のように出かけては1日の大半を大勢の人の中で過ごしていた。それが当たり前で現実がすべてだった。はじめて学校をさぼることを覚えたときは感動したね。現実から離れて誰とも会わずに過ごすことが、こんなに快適なのかと。当時は罪悪感も絶望的に大きかったが、それすら乗り越え現在に至る。

これからどうすべきか、どうしたいか、まったく分からなくなってしまった。でも考えて分かることじゃない気もする。それさえ見当がつかない。