ひきこもりから自立を目指す

日常や心境を記録中・・・

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僕も頑張れるかもしれない

「ひきこもりから自立を目指す」というタイトルでブログを続けてきたが、もうずっと自立を目指していない。

社会でやっていく自信がないから、その社会をなんとか否定できないかと考えてみたり、「意識とはなにか」という、すぐに分かるはずがないハードプロブレムについて考えてみたりしている。

全く意味がないとは思わない。でもたぶん現実逃避の意味合いが強い。そう思うとまた、「そもそも現実は―」などと言って、よりいっそう逃避に拍車がかかってしまう。

今年の2月から4月にかけて、1日7時間以上の短期アルバイトをやった。そのおかげで、「いざとなったらいつでも働ける」という自信がある。でもそんな生活を、この先ずっと続けていける自信はない。そもそも頑張って働き続ける理由がない。

そろそろいい歳だから、まずはアルバイトから初めて、それを続けながら勉強もして、いずれは正社員を目指して、もし運よくなれたら、そのまま定年まで働きつづけるのか。何のために?

そうだ、僕には目的がない。今まではただ「こうあるべきだろう」という漠然としたイメージに向かって頑張ろうとしてきたが、それだと義務感しか感じない。そしてそれができない限り後ろめたさを覚える。

散々そうやって過ごしてきて、たまには勇気を出して行動してきたが、それでもなお抵抗して現にひきこもっているということは、もうこの方向で頑張るのは止めてもいいんじゃないかと思う。

内閣府のひきこもり調査によると、今の僕の状況は、「狭義のひきこもり」と「準ひきこもり」の中間に位置することを最近知った。僕としては、もうとっくにひきこもり状態を脱したと思っていたのだけど。1週間くらい外出しないことはよくあるし、やっぱりひきこもりか。

目的がない。だからと言って死のうとも思わない。怖いし、何のために死ぬのか分からないから。どうせなら、まずは前向きな目的を持つことを目標にしてみたい。

まあ僕は世間知らずだから、これから嫌でも価値観は変わっていくだろう。当然、目的も変わるだろう。でもとりあえず目印としての目標がない限り、何をどうしようとも思えない。

それで、まずはどういう場所で暮らしたいか、その条件を考えてみたら、気候と周囲との距離感が大事なことが分かった。

・雪が降る
・水がきれい
・あまり人がいない
・でも都会が近い
・海よりも山
・気兼ねなく音を出せる
・日照時間が長い

長野に住んでいる祖父の家が好きだから、それが基準になっている。でも祖父の家のあたりは、未だに本家だとか分家だとか言っているような村社会なので、あの距離感はストレスになると思う。

こうやって挙げた条件から逆算して目標を立てれば、僕も頑張れるかもしれない。