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「人間らしさ」ってなんだろう

放送大学テキスト「乳幼児・児童の心理臨床」を読んでいたら、「虐待」について書かれた章があった。

虐待は、あめりか語で"child abuse"と言う。"abuse"の直訳は「乱用」で、「強い立場にある親が権力を乱用する」というようなニュアンスがあるらしい。

それならやっぱり、僕は心理的虐待を受けていたと言えそうだ。

hiki-jiritsu.hatenablog.com

それは置いといて、虐待を防ぐためには、第三者が親子関係に介入する必要がある。

虐待は悪いことだ。被害にあっている子どもを、一刻も早く助けたい。そう思えることが、「人間らしさ」だと感じる。

でも、加害者サイドから見るとどうだろう。自分の行動を一方的に否定されて、たぶん辛いだろう。

「ドラゲナイ」の歌詞にこんな一節がある。

人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない

誰かが正義を振りかざせば、必ず傷つく人がいる。

虐待されている子どもを助けたい。でも虐待する人は傷ついてもかまわない。「人間らしさ」は、やさしさだけじゃない。

集団に不利な行動には、不快感を覚える。その仕組みは遺伝的に備わっているようだし、文化にも組み込まれている。その結果が「人間らしさ」だ。

とはいえ、遺伝子には突然変異も起こるわけだし、同じ文化圏でも経験は人それぞれだし、個人差はある。だから「人間らしさ」から外れてしまう人はどうしてもいる。

虐待をする人も、いい歳して働いていない僕も、その意味では同じ。だから働いていないことを正当化しようとすると、犯罪の擁護になってしまう。

だから最近は、行動と人とを分けて考えるようにしている。「人間らしさ」から外れた行動は、多くの人から反感を買って「悪いこと」だとされる。それは仕方ない。でも、その行動をした人自身が悪いわけではない。

受精卵から始まり分裂を繰り返していくうち、脳や心臓などに機能が分かれていく。そして無数の細胞が集まったヒトが、はじめは遺伝的に備わっている能力だけを頼りに、さまざまな経験に対応しつつ成長していく。誰が教えるわけでもなく、言葉を覚えようとするし、二足歩行も始める。遺伝的な能力を使おうとする力さえも、遺伝的に組み込まれているわけだから、その人自身が、その過程に入り込む余地はないと思うんだよな。

結果的に「人間らしさ」から外れただけなのに、その責任まで負わされてしまう。

hiki-jiritsu.hatenablog.com

「人間らしさ」から外れた行動には、まず漠然とした不快感を覚えて、それを正当化するために後付けの理由が加わる。そしてそれが本当の原因のような気がしてしまう。不快感から理由が生まれたはずなのに、まるでその人に原因があって、そのせいで不快感を覚えさせられているという錯覚にとらわれてしまう。

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理由はどうあれ、危険な人に近づかなければ生存確率は上がるし、集団に不利な人を排斥すれば、集団の安定につながる。だから動物的には全く問題ない。でもそれは「動物らしさ」じゃないか。

窓から見える家や車、歩いている人、目の前にあるPCや本、どれも「人間らしさ」を帯びているように見えるが、そんな特別なものじゃないかもしれない。

知性の面で言えば、ミツバチでさえ高度な計算能力があるくらいだし。

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