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脳内麻薬にやられてしまったのか?

心のこと 放送大学のこと

10月になったので放送大学2学期の勉強を始めた。

生活のリズムから勉強がすっかり抜け落ちていて、いまだに超スローペースだが、今学期はこれまで以上に興味で選んだ科目が多いので、なんとか続いている。

今は「人体の構造と機能」のテキストを読んでいる。心理学を勉強するからには脳だけでなく、身体全体、さらには生物一般について知っておきたいと思った流れで選択した科目。これがなかなか難しい。

僕は高校までまともに勉強をしてこなかったので、生物について、そしてやたらと出てくる化学についてまるで知識がない。生物入門みたいな本を1冊読んでみたところで気休め程度にしかならず、これから苦戦するかもしれない。

度々思うのだけど、高校までの勉強ってホントに大事だよな。逆にそれがしっかり身についていれば、何を始めるにしても足がかかりになってくれる気がする。

あー勉強できるようになりたい。僕はこれだけ興味のあるはずのことを勉強しているのになお、イマイチやる気が湧いてこない。

やる気に関係する神経伝達物質ドーパミンは、幸福感をもたらす。僕は今でこそ無感動だけれども、そうでない時期もあった。

小学3年から中学2年くらいまで、これは、親からある意味精神的虐待を受けていた時期でもあるが、なぜか幸福を感じることが多かった。日常生活のいたるところで、それこそラメ入りのおもちゃだったり、こするとイチゴのにおいがする本だったり、虫の声だったり、些細なことにもいちいち幸福感を感じていた。

その感覚が、数日前にぼーっとしていたらほんの少し蘇ってきた。普段イメージする幸せとは質が違って、むず痒いような、それでいて少し切ないような、心地良い数秒間だった。やっぱり当時の幸福感は相当なものだったろう。

そういえば毎年のように学級委員もやっていたし、クラスで面白い人ランキングの常連だったし、僕は本当に生き生きしていた。

もしかしたら、あの時期に幸福感を感じすぎて、つまりそれが麻薬のように作用して、脳内のバランスが崩れてしまったのかもしれない。あの幸福感と入れ替わるようなタイミングで対人恐怖が出始めたことも無関係と思えない。

というか今となっては、幸福感の反動としてまず不安感が現われて、それがたまたま「人」と結びついた結果、対人恐怖になったように思えてならない。

とはいえ勉強は当時からやってなかったから、今勉強できない理由にはならないか。