ひきこもりから自立を目指す

日常や心境を記録中・・・

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ぼくの悲しい思い出 & 自殺について

自分のひきこもり生活をブログに書き、自分の人生をつづったページを作り、動画サービスで実況しつつ自殺した人(仮にMHさん)が話題になっている。

はじめは興味半分で「俺の人生」を読み始めたが、僕の経験と似ていていろいろ思いだした。悲しいエピソードをいくつか、そして最後に自殺について思うこと。

ふと自分の立場が分かった幼稚園時代

僕の幼稚園では年長のときに「お泊り保育」があった。1枚の布団に二人で寝るためにペアを組む必要があって、自分では仲がいいと思っていた友達同士でどんどんペアができて僕は見向きもされなかった。余る前に先手を打とうと、下位カーストにいた友達を「○○でいいや」といって指名した。

自分だけ違うと感じる経験が多い

小学校では「清潔検査」と称して、ハンカチとティッシュを持ってきているか確認される日があった。でも家にはポケットティッシュがなくて持っていけず、僕は毎回注意されていた。勇気を出して母に「学校にティッシュを持っていきたい」と言ったら、それ以降、普通のティッシュを折りたたんだものを持たされた。おとなしく学校に持って行ったが、そんなものを出せるはずがなかった。

新学期に、一人1枚掃除に使う雑巾を持って行くことになっていた。みんな既製品を提出する中、母は毎回いらなくなったタオルで自作した雑巾を持たせてきた。明らかに比率や大きさが違って恥ずかしい。でも嫌とも言えなかった。

僕の家は生活全般が質素だった。自宅はボロイ県営住宅、テレビは15インチ、エアコンも無い。当然、自室もない。そんな生活を友達に知られるのが嫌で、必死に見栄を張っていた。MHさんの場合は貧困由来だが、家は父親が公務員で共働きの時期も長かったのにこのありさま。

僕の家はとにかくテレビやゲームに厳しかった。小5のときに、ようやく週に1つだけバライティ番組を見ても良いことになった。初めて据え置きのゲームを手に入れたのは、僕が成人してからだった。自由にお金を使えるようになって反動のようにゲームを買ってみるが、どこか虚しいく楽しめないあたりがMHさんとかぶる。

教室でアゲハチョウの幼虫を育てることになった。母と一緒にキャベツ畑へ行って幼虫をもらったが、それは明らかに蛾の幼虫だった。でもくれた人にも母にも申し訳ない気がして「違う」と言えなかった。結局それを持っていき、僕だけ蛾になる予定の幼虫を育てていた。でも連休中にキャベツとともに溶けてしまってばれることはなかった。

小学校高学年になると、同級生が続々とブリーフからトランクスに変わっていった。「まさかまだブリーフのやつはいないよな」みたいな風潮ができて、僕は隠すのに必死だった。でもパンツを買ってきてくれる母に「トランクスがいい」と言えなかった。同じ時期、トップクラスの早さで脇と股から毛が生えてきてしまったので、水泳の授業は地獄だった。体操で腕を上げると脇が見えてしまうから、僕は必死にふざけたりやる気のないアピールをしてごまかした。

中学の修学旅行で着ていった上着が僕だけ父のジャンパーだった。高校の修学旅行では僕だけレンタルのスーツケースだった。サイズも明らかに大きくて目立ってしょうがない。MHさんも書いているが、こういう時は必死にあたりを見まわして自分と同じ人を探す。でも決まって見つからない。

自分から距離を置き、手持無沙汰になる

僕は高校のときの友達を呼ぶことができなかった。「何を言っているんだ?」と思われるかもしれないが、呼ぶことができなかった。当時すでに精神的に不安定だったからその影響もあると思うが、意味の分からないこだわりで友達との間に壁を作り、休み時間に手持ち無沙汰になる構図がMHさんとまったく同じ。でも僕はMHさんのように寝たふりができなかったので、読書が好きなキャラになりきった。

兄弟が不登校

1つ下の妹が、中学と高校で不登校になった。やっぱり学校の環境だけでなく、家庭環境の影響も相当大きいのかもしれない。僕が学校を日常的にサボるようになったのは大学2年目からだったが、高校のときに一度だけ遠足をさぼったことがあった。妹が不登校中だったから僕はしっかりしようと思っていたが、本当に精神的に限界でとても楽しめそうになかったから。学校に連絡を入れた母が「ずっと(妹たちにとって)いい兄ちゃんだったじゃん」などと意味不明なことを言って泣き出したのでこれはヤバいと思った。

家族におびえて過ごす

MHさんの場合は兄だったが、僕は父親だった。話が通用しないタイプで、殴る蹴る噛むといった手段で解決を図ってきた。ごめん噛むことはなかった。でも僕がまたそれを分かっていながら煽るから、もはや一連のやり取りが形式美のようになっていた。一度反抗して父を倒したらそれ以降は言葉の暴力に変わった。切れるタイミングが予測できず、しかも何度も繰り返してきたせいか条件反射的に深い悲しみと怒りが湧いてくるので、いつもびくびくしながら過ごしていた。幸い今年からやむを得ない事情で別居することになり救われた。しかし現状の僕はその父に養ってもらっている立場だからいろいろ複雑。

「嫌なら自立しろ」という人、あなたはMHさんのように自殺した人を非難するタイプですね。父と同じです。

でも父も悪いところばかりじゃないんだよ。僕が県外の大学へ通っていたころは「いつ帰ってくるんだ」と母に聞いていたらしいし、今でも扶養の手続きなんかを当たり前のようにやってくれる。屋外で作業しているとジュースを持ってきたり、父なりの気遣いが見えることもある。だからこそ、「もしかしたら分かり合えるんじゃないか」という気持ちが捨てきれない。でも「〇んでくれないかな」と思うこともある。

親に言いたいことを直接言えない

小さいころから親に頼みごとを言えずに来た。それは未だにある。最近で言えば「フルーツグラノーラを買ってきてほしい」と母に言えない(「ポッカレモンを買ってきてほしい」は言えた)。父に至っては直接言えず母を介して伝えてもらう。父も母を介して僕に頼みごとをしてくる。僕の場合はさらに家族の前で自分を呼べないから、これは高校時代に友達を呼べないのと全く同じ感覚で一人称を使えないから、会話自体に高すぎるハードルがある。

hiki-jiritsu.hatenablog.com

親(とくに母親)を怨む

今の自分がこうなったことを親のせいにして怨む。とくに母親を。父よりも母の方が関りが多かったし、弱そうだから責めやすいというのもあるだろう。僕は両親と関わる度に不快な気持ちになるし、目の前にいなくてもふと昔のことを思い出すこともあるし、それを隠そうとしつつも態度に出てしまったときは自分が嫌になることもある。

でも親を疑うことを知った時は、感動したね。「全部自分が悪いわけではなかった」と。でもこの状態で身動き取れないのもなかなか辛い。今まで自分を無条件に受け入れようとしたり、上から目線で親に同情しようとしたり、逆に尊敬しようとしたりしてきたが、最近ようやく、親や自分に原因を求めることはどうやら間違っているようだ、ということが分かってきた。僕の考え方の変遷は、このブログの「心について」を、その中でも「家族」を見ていただければと思う。

今回命を絶ったMHさんは、最後に母親の人生を否定する言葉を残していった。それが残念でならない。

自殺について

でも自殺自体は仕方ないことだと思うんだよな。そもそも人は生きるようにできているのに、死にたいと思ってしまうほど辛い状況にあるんだから。その人が死んで悲しむ人はいるかもしれないし、経済的にも損失かもしれない。でもそのために苦しめというのか。

僕としては最近読んだ本の影響で、「理由はすべて後付け」という説を支持したい。理由は感情でしかないんだよ。まず本能的に不快感を覚えて、それを説明するもっともらしい理由を脳がでっちあげる。その証拠に誰も「自殺をしてはいけない理由」を論理的に説明できないだろ?

hiki-jiritsu.hatenablog.com

人の言葉を借りて偉そうなことを言ってみたものの、僕も直観的に自殺はいけないことだと思うし、当事者の気持ちをつい自分のものさしで図ってしまう。それもまた仕方ないことだと思う。でもそれらを正当化するための理由を使って、追い込まれた状況にある人を攻撃するのはダメだと思うんだよな。

追記

夜、普段音楽なんか聞かないのにセンチメンタルなメロディーの歌を聴いていたら、MHさんの書いた文章を思い出して泣いてしまった。一つ一つのエピソードが淡々と描かれているが、さぞ悲しかっただろうなと。もしかしたら誰かが助けることができたのではないかと。所詮僕も分かったようなことを言いながら感情に振り回されてしまう。

いま見たら「俺の人生」が403エラーで見られなくなっている(まだキャッシュは見られる)。もったいない。遺族の意思なら仕方ないが、個人的には登場人物にぼかしを入れてもう一度公開してもらいたい。