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幼いころからある社会不適合感

数日前に、録画してあった「踊る!さんま御殿!!」の再放送を見ていたら、加藤夏希が出ていた。

「相変わらずきれいだなー」と思って見ていたら、まだ30歳(当時)だと知って驚いた。誠に勝手ながら、あの人の全盛期は10年前だと思っていたから。

そうすると二十歳前後からあんなに活躍していたのか。調べてみたら芸歴はさらに長いらしく驚いた。

自分の年齢(26)と比較して、若いころから活躍している人だったり、現に年下が活躍しているのを見ると、全く関係ない人に対しても負けたような気がしてしまう。とくに最近は、僕がすでに小学生だったころに生まれたような人たちが蔓延りだしたからいけない。

自分が「社会的に幼い」と自覚し始めたのは高校に入ったころだった。同級生が隠れてピアスを開けていたり、バンド活動をしていたり、日焼けサロンに通っていたり、周りが急に大人びた気がした。

大学に入ったらそれがさらに顕著になった。学費のために本格的に働いていたり、車を持っていたり、未成年なのに飲み会が好きだったり、見た目地味なのに煙草を吸っていたり。

なんだろう。年相応の大人び方というか、何か流れのようなものがあるよな。僕はそれに乗れなかった。

一応、乗ろうとした時期もあった。流行りの音楽を聞いてみたり、髪を微かに染めてみたり、まあ、あまり思いつかないが少しは努力した。でもまったく板につかなかった。

もちろん、流行の音楽が好きな人ばかりでないことは分かる。でもそういうことじゃなく、なんというか、だいたいその年ごろの人はどれか一つはやるようなことが、僕にはなにも無かった気がしてしまう。

「自分は他の人と違う」という悩みが、振り返ってみればそれこそ高校時代よりも前、中学校、小学校時代からずっとある。これは僕が「自分は特別だ」と思いたい、勘違い野郎だからなのか?

いや、他の誰かと共有できる部分が少ないのかもしれない。

年を重ねるごとに人それぞれ嗜好が出てくる。嗜好自体は無数にあるが、人気のあるものについてはすでに先人たちが何らかの形で発展させてきて娯楽と化している。そのどれかに興味を持つことは同じ人として当然の流れだろう。それが僕には欠けているのではないか。

つまり多くの人は、自分が「楽しい、幸せ」だと感じることを求めてきた結果、自然にその姿かたちになったんじゃないか。だからそれを形だけまねしてみても仕方がない。

僕は中学時代に野球部だった影響か、シャドーピッチングするのが好きで、高校時代は毎日黙々と投げ込むのが日課だった。じゃあ野球が好きかと言ったらそうでもない。しいて言えば、やっぱりフォームの美しさに魅力を感じる。

「休みの日は何してるの?」なんて聞かれても「シャドーピッチング」とは答えられない。多くの人にとってシャドーピッチングというジャンルがないことくらいは分かるから。

まあ実際のところ、それすらそんなに好きじゃない。そもそも好きってどんな感情だろう?楽とは違うのか?

そうか、僕には意欲が少ないのかもしれない。今まで何かに打ち込んだ記憶がないもんな。それに疲れやすい。とくに長時間話した日の翌日はとにかく眠い。

それは何かエネルギー的なものが足りないのか、世間とのずれが大きすぎて消耗しやすいのか、いずれにしても、僕は社会不適合者だろう。

そんな自分を受け入れよう、肯定しようなどとは思わない。それを突き詰めれば生きる意味とか、死んだらどうなるかとか、考えても分からない領域になってしまうことが分かったから。

同じ理由で否定する気にもなれない。でも人と違うことを長年悩んでいるということは、価値観と現状に差があるということだろうな。

それでも、僕は社会との接点がない割には平常心を保てていると思う。さみしいいとかじゃなくて、一人でいたら自分の考えにいつ飲み込まれてもおかしくないから。その点は意識してなんとかギリギリこらえていると自分では思っている。