MENU

卒業研究から逃げるために

卒業研究の履修申請が間近に迫っている。ぎりぎりまで粘ってみようと思ったが、どんどん気持ちが萎えてしまった。そのことを考えるだけで眠くなってしまう。

卒業研究をするメリットは多い。大学院を目指すならやっておくべきだし、大学生らしいことをしてみたい気持ちもあるし、勉強のモチベーションに直結するし、興味のあることについて人と話すことができる。こうして挙げてみると、僕は卒業研究を社会復帰の足掛かりにしたいように見える。

話は変わるが、僕の悩みや苦しみは、僕の脳内の現象で主観的だ。でも、それを生み出す要因は僕の外に無数にあって、僕自身もそれらの結果として存在する。これって不公平じゃないか。僕が無職なのも人が怖いのも、まったく僕のせいではないのに、どうして僕が悩み苦しまなければならないのか。

それは全ての人、もっと言えば物質について言えるから、誰のせいというわけでもない。ただ「個」という感覚的にわかりやすい境界が責任の境界とみなされているに過ぎない。

オリンピックでメダルを取れば、その人や、それを支えた周囲の人が「すばらしい」と称賛される。実際、その裏には僕が想像もつかない努力があるだろう。でも努力できる環境はもちろん、努力しようと思えたことにも、無数の要因が絡んでくる。

今僕がこうして文章を書いていても、その言葉を自分の意思で手繰り寄せているというよりは、浮かんでくると言った方が適していると感じる。自由意志は本当にあるんだろうか。何か壮大な錯覚にとらわれているんじゃないだろうか。

仮に錯覚にとらわれていても幸せならいいという考えもあるかもしれないが、そのしわ寄せは、普通のことが普通にできない人たちに行くことを分かってほしい。僕の現状は僕のせいではない。

以上を持ちまして、卒業研究から逃げるための言い訳と代えさせていただきたいと思います。