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想像の余地を残す

心のこと 家族

数日前に、人と会う約束があったのにすっかり忘れていて、気づいた時にはもう間に合わない時間になっていた。電話は大の苦手だけど仕方がないので連絡を入れたら、後ろめたさもあってしどろもどろになってしまった。どうしてこんなに苦手なんだろうか。

そこでふと気づいたが、今までは相手の人ではなく声が出る機械と話している感覚だった。目の前に人がいるけどアイマスクをしていて見えない。そのつもりで電話してみたら上手くいくんじゃないか。

そんなことを考えながらおやつを食べていたら、嘘みたいにタイミングよく奥歯が欠けてしまった。痛みもあるのですぐに電話しなくてはならない。早速実践してみたら驚くほど緊張せずスムーズに予約が済んだ。これは効果がありそうだ。

僕は自分が対人恐怖症だと思っているが、そういえば人と話すときに極度に緊張することはあまりない。電話以外で思い当たるのは、慣れない場所に行くときくらいか。それらには共通点があった。

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上の画像は12、13、14に、下の画像はA、B、Cと読める。真ん中の文字の形は両方とも同じ、13ともBともとれるが、その前後の文字のおかげで難なく読める。

細部の特徴からその文字を推測するだけでなく、そこにどんな文字が入る可能性が高いかという無意識の推測を絶えず行うことで、より素早くおおむね正しい判断をすることができる。これは視覚に限らず人の認知全般の特徴でもある。そんなことが勉強している中で分かってきた。

それは人が相手を理解しようとするときも同じ。相手の言動だけでなく、その状況や過去の自分の経験と照らし合わせて、その人がどんな人か、何が言いたいのかを推測する。

僕にはこの考え方が欠けていた。逆に想像の余地をなくすことが相手のためになると思っていた。僕が相手を知らなければ(あるいは電話のように情報が少なければ)、当然相手も僕のことが分からない。だからできるだけ説明してあげて、あわよくば良い印象を植え付けてやろうとさえ思っていた。

電話では声しか使えないから、ハッキリ話す意識は確かに必要だろう。対面で声を聞くときには、聴覚だけでなく口の動きも利用していることが知られている。でも流れとしては、あらかじめ決めた内容を機械に向かって読み上げるような話し方より、(多少支離滅裂でも)自然に話した方がむしろ伝わりやすいんじゃないか。それが2度目の電話で感じた手ごたえの理由だと思う。

同じように、僕の自意識過剰さも説明できる。全てを説明しようとするから、不特定多数の人がいる状況が一番つらい。道を歩いているだけでも、「これから僕は用事があって、駅に向かうために歩いています」ということを動作で示さなければならない。電車の中で姿勢を変えるだけでも、「ちょっと腰が痛いので快適な姿勢を探っています」ということを、これも動作で示さなければならない。だからどうしても一挙一動がわざとらしくなってしまって、そんな自分が気持ち悪かった。

母に対する嫌悪感も同じ。母が僕にも増して自意識過剰だから。動作だけでなく言葉で伝えてくることも多い。「あれ、洗濯機回したっけか?」「ちょっとみてくるか」「やっぱ回ってなかった」なんてことをいつもやっている。ひどい時には「背中がかゆい」だの「なんか眠い」だの、自分の状態を実況し始めることもある。自分の思い通りに受け取らせようとするその姿勢が気に入らないとは常々思ってきたが、想像の余地という考え方は無かった。