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心理カウンセリングの意義

 放送大学の「教育心理学概論」のテキストによると、ある問題を解くとき、さりげなく与えられたヒントの直後にほとんどの人が正解できたにも関わらず、その理由を尋ねてもヒントに言及する人はほとんどいなかった。「答えが突然ひらめいた」と感じる人もいれば、(ヒントでひもを揺らした場合)「ターザンが川を渡っているところを想像したから」と感じる人もいる。

 最近読んだ本や今読んでいる本にもそれと似たようなことが書かれていた。どうやら認知過程を意識することは難しく、代わりに自分なりの説明を作り出してそれを真実だと思い込む傾向が、脳の仕組みとしてあるらしい。

 確認しようがないという意味では自分の過去も似ている。今の自分がこうなった理由を自分なりに考えてそれがどんなに確かだと感じられても、全くの見当違いかもしれないということだ。さらに「確証バイアス」と言われるように間違っている可能性に目を向けることも難しい傾向もあるから、どんどん深みにはまっていく可能性がある。

 教育心理学概論では他者との関わりが一つの大きなテーマになっていて、先の例では「2,3人で相談しながら問題を解けば、答えにたどり着くまでの経緯を意識することができる」とある。ここにきてようやく「心理カウンセリング」の意義が分かってきた気がする。

 僕は5年ほど前から、月に2回くらいのペースでカウンセリングを受けてきた。そこではカウンセラーの方からのアドバイスは一切ない。最初のころは物足りなさを感じたが、僕も割り切って「人と話す訓練」くらいの意識で通ってきた。

 でも改めて考えてみると、ここ5年ほどで起こった考え方の劇的な変化と無縁なはずがない。身近に話せる人がいない僕にとっては、自分の考えを人に伝えてさらにその反応を見ることができる本当に貴重な機会だったと思う。逆に親や友人の中に気兼ねなく話せる人がいれば、日常会話がカウンセリング的な役割も果たす。そういえばそんなようなことが「心理と教育を学ぶために」のテキストにも書かれていた。

 今学期履修したいくつかの科目でカウンセリングが登場して、どれも一貫して「カウンセラー側の考えを押し付けてはならない」と書かれていた。僕はそれを見るたびに、「専門家なら最低限のことは教えてくれてもいいんじゃないか」と反感を持った。でもそれは、これまでの考え方の変化は全部自分一人で考えた結果だと思い込んでいたから。カウンセリングのおかげで自分の考えに気づけて、それが結果として変化につながったのなら話は変わってくる。

 とはいえカウンセラーに誘導されたわけでもないので、相変わらず自分の考えだという実感が持てるし、これまでの変化を成長ととらえることもできる。ただ人と関わることの重要性に気づけただけ。

 このあいだサポートステーション関係のセミナーに参加した時に、支援する側の人が「専門的な資格はむしろない方がいいくらい」と言っていた。お世話になっている臨床心理士の方は「ただの話し相手だと思ってやっている」と言っている。臨床心理士を目指そうかと思って勉強している僕にとってはあまり聞きたくない言葉だったけれども今となっては納得できる。やっぱり長年の実践から出てきた言葉には重みがあるなー。

 近々引っ越す予定があるので、年度末だしこれを機にカウンセリングを終了しようかと思ったけれども、気兼ねなく話せる人がいない限りやっぱりそういう場は必要だという結論になった。