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とりあえず行動してみるか

心のこと 家族

放送大学で勉強を始めた理由は、僕自身の悩みを解決するヒントになればいい、ゆくゆくはそれを人のために生かしたいと思ったから。口ではそう言っても、自分の問題が片付かないうちに「人のため」って、改めて考えると不自然な気がする。

最近母と会話していて気づいたが、僕も母も、自分の問題を他人の中に見出して何とかしようとする傾向がある。そしてその話の中に出てきた母の職場の人も、まさに同じパターンで内心可笑しくなってしまった。

僕が普段両親に対してイライラするのも別に両親のことが憎いわけではなくて、自分と共通する弱い部分を見せつけられるのが嫌なのではないかと思う。自分の受け入れがたい一面を相手の欠点と思い込むことで、自分と切り離そうとしている。つまり、ありのままの自分を受け入れられないことが原因ということになる。

そんな状態で人のためになりたいと思うなら、それは自尊心を満たすために人を利用したいと言っているようなものだ。

その職場の人はまだ新人で、今月から正社員になる予定だったのに、人間関係からパニック状態に陥って辞めてしまうそうだ。その人は中学時代にいじめが原因で不登校になり、それでも時間をかけて社会に復帰して徐々にステップアップしながら今の職場に来た。

でも僕が話を聞く限り、とても働けるような状態ではないと感じる。それにも関わらずその人が頑張る理由は、その人の母親にある。不登校だった時期には「一緒に死のう」とまで言われたそうで、とても弱みを見せられないらしい。そんな中、その人は産業カウンセラーの資格取得を目指して頑張っている。

僕がいずれ人のためになるような立場、例えばカウンセラーになったとして、このような人に対して何ができるだろうか。少なくとも今の時点では何もできない。こうやって具体的に考えたとたんに、人のためなんて言っていた自分が恥ずかしくなってしまう。

そもそも僕だっていろいろ悩む中で成長してきているという実感があるように、その人に応じた課題は必要だと思うし、どこまで他人が干渉すべきかという基準が僕の中にない以上は、行動のしようがない。でもその基準は、突き詰めていけば人間の生きる意味とか、一生かかってもたぶん答えが出ない領域だと思う。

それでも自分なりの信念を持つためには、知識を取り入れつつ行動するしかない。どうすればいいか分からないけど、行動するまでは分からないまま。「何事も経験」とはこういうことか。

なにか目標を達成するために失敗は避けて通れないことが分かった。今までのように失敗を避けることに重点を置けば、引きこもることは我ながら合理的な判断だと思う。合理的な行動ができるんだからその方向を変えて、失敗した時の対処に重点を置けるようになれば、自然と外へ出ていけるようになる気がする。でもそれすら失敗しながらでないと学べなというジレンマ。