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「電車が苦手」を治すために

秋から放送大学で勉強を始めようと思う。しかし単位認定試験のたびに、電車で1時間ほどかかる会場に足を運ぶ必要がある。

それから最近「サポートステーション」と言う、職業的自立を支援してくれる施設に興味を持ったけれど、それも少し遠いので電車に乗らなくてならない。

いろいろ新しいことを始めようとすると、「電車が苦手」という足かせを何とかしたいという思いが強くなってきた。

そもそも何が嫌なのか

電車に限らず、人の視線が気になる(自分がどう思われるか気になる)。一般的なロングシートの座席では他人と向き合うことになるので、常に見られている(評価されている)感じがして嫌だ。

例えば目をつぶってやり過ごすとする。寝たふりをしていると思われたくないから、本当に眠くてウトウトしている感じに振る舞う。でもそうすると今度は目を開けるタイミングに困る。

どうすればわざとらしくないか、電車の揺れに驚いて目が覚めたことにするか、携帯にメールが来たことにするか...。そもそも本当に寝ていたらもっと頭の位置は低くなるか。姿勢を変えたくても今は寝ているからダメだ。いや、少し動いた方が逆に自然か?

そんなことを考えているうちに降りる駅が近づいてきて、意を決して目を開いて逃げるように降りる。

目をつぶるのをやめて、スマートフォンを見るとする。でもあまり長い間見ていると、他に目のやり場がなく、目をつぶるのも一苦労と言うことに気づかれてしまうかもしれない。だから時々ポケットにしまう。そしてタイミングを見計らって、ふと思い出したように再び取り出す。

電車を降りる準備はどのあたりで始めると自然か。スマートフォンに集中してなかなか目が離せない感じを出すために、降りる直前まで見ていることが多い。たいして熱中していない設定のときは、ひと駅くらい前まで。その場合、駅に着く前だとそこで降りると思われる可能性があるから少し待つ。

立っていれば窓の外を見ていればいいから比較的気楽。でも空いている席があったら座らないと不自然。それに外が暗いとガラス越しに、やっぱり見られると感じてしまう。

毎回変な汗が止まらない。

「だれもそんなに見ていないよ」という慰めは通用しない。事実「電車 暇つぶし」なんかで検索すると、「人間観察」とかいう言葉がが必ずと言っていいほど出てくる。しかし同時に、同じようなことで悩んでいる人が多いことも知った。

座席に工夫を凝らした「コミュ障専用車両」があったらいいのに。いや、仮にそんな車両があっても僕自身の問題は解決しないか。

どうして視線が気になるのか

僕と同じような悩みを抱えている人は、つい人のせいにしてしまう癖があるんじゃないだろうか。自分の感情や考えを相手の出方によって変えてしまう。これは、自分で考える力が不足しているということ。

だから人からの評価が自分の評価になってしまう。
「みなさん僕の評価をお願いします。できるだけいい評価をください!」

自分が悪く言われること = 自分はダメ人間

と言う考えだから、とにかくいい人になろうとする。

電車のような公の場では、模範的な人間であろうとする。

でも「いい人」も「模範的」も、他の人にとってもそうであるとは限らない。
色々な人がいるから、嫌われる不安は絶対に付きまとう。

それでも自分が人に影響されやすいから、他の人も影響されるはずだという思い込みから抜け出せない。なんとか自分の都合よく受け取ってもらえるように考える努力を惜しまない。

どうすればいいか

まず「こう思ってもらいたい」という考えは、すべて自分から出てきたものだということを理解する。例えば「容姿がいいと思われたい」と思うのは、自分にとって容姿が人を判断する基準だということ。他でもない自分の価値観として認める。

それができるようになると、自分以外の人にもその考えができるようになる。仮に僕の容姿を馬鹿にしてくる人がいたら、それは僕がダメ人間なのではなく、その人がその価値観にとらわれているだけ。

「その価値観にとらわれているあなたがかわいそう」
これであらゆる誹謗中傷を一蹴できる。

hiki-jiritsu.hatenablog.com

そうするともはや

自分が悪く言われること = 自分はダメ人間

は成り立たない。

このように、自分の考え方は自分で決められる。と言うことは当然、他人の考え方は僕が決められることではない。

その人がどう思うかはその人に任せる。自分がどう思うかは自分が決める。

hiki-jiritsu.hatenablog.com

よく不安障害の特徴として「自己と他者の境界があいまい」と言う言葉が出てくるけれど、やっと意味が分かった気がする。

意図したとおりに相手が受け取ってくれることは確かにあると思う。でも可能性は低いし、その後も自分を偽り続けなくてはならない。

それなら世間一般の常識だったり、過去のあるときには役に立ったという理由でため込んでいる考えの中で、自分自身を苦しめているものを捨てようと、自分で考える努力をした方が絶対にいいはず。

ゴミのように捨てるわけにはいかないけれど、見極めには部屋の掃除をしたときの考え方が使えるかもしれない。

hiki-jiritsu.hatenablog.com