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自分でコントロールできること、できないこと

僕の家ではクサガメを飼っていて、水槽に外部式のフィルター(ろ過装置)を繋いである。そのポンプの軸がずれると、「ガラガラ」とものすごく大きな音がする。最近軸に汚れがたまったみたいで、度々そのようなことがあった。水槽の位置が母が寝る場所と近いので、夜中大きな音が鳴るたびに止めておいてくれた。軸を掃除してからはそのようなことは無くなった。

その後日、母がフィルターの動作音についてこんな質問してきた。「フィルターの音が、他の階の人に響くことはないかな?」意訳すると「フィルターがうるさい」。でも僕は意地悪だから知らないふりをして「どうして?」と返す。

すると、「低音だから響きそう」という。隣の部屋でさえ聞こえないレベルなのに。そもそも家は一階なのに、「他の階」とさも広範囲に迷惑をかけかねないというような言い方にイラついた。「なに?うるさいの?」と聞くと、「うるさくはない」と言う

「だけど周りが静かだと聞こえてくるかな」
「うるさくなったら止めるからいいよ」
と付け加えてきた。

その二日後くらいに、「もう、うるさくなるようなことはないかな?」と聞いてきた。「知らん。うるさくなったら止めるって言ったじゃん。」でその時は終了。

それから1週間くらい経ったけれども、朝起きるとフィルターが止まっていることが何度かあった。今日も止まっていたので、そんなにうるさいのかと聞いてみた。

母「前みたいな大きな音はしないけど、やっぱ気になって」
僕「うるさくないって言ったじゃん」
母「そうだけど...止めてみたら違いに気づいたもんで...」

言えばうろたえるのは分かっていたけれど、今回ばかりは我慢できなかった。

本当はもっとまくしたてたい気持ちがある。
「なんで嘘をつくの?」
「なんでいつも言い訳ばかりなの?」
「なんで自分のことしか考えられないの?」

話は変わるけれども、今年上の妹が子供を産んで先月家に連れてきた。寝ているとき以外は常につきっきりで、「赤ちゃんは母親がいないと何もできない」という当たり前のことを強く実感した。言葉を覚えるほどの能力がある赤ちゃんが、いつもそばにいる母親の性格の影響を受けないはずがない。そういうわけで、僕が母親の性格に似てしまうのは仕方ない。僕も言いたいことを素直にいえない。

特に長子だし、より気負いもあったと思う。それは「特別よく面倒を見てくれた」と言うこともできる。しかし母の性格を見ると、それが純粋な愛情から来たものとは思えない。母のエゴを満たすために利用されたと思う方が納得できる。母自身が、よき妻、よき母親、よき子供、よき隣人であるための道具として。

上の妹にも、母と似た部分を感じてしまう。「このままでは二の舞になる」と危機感を覚えた。妹のためにも姪のためにも、僕が感じたことを伝える必要があるかもしれない。

少し前に「七つの習慣」という本を読んだ(途中でギブアップ)。その中で「自分が影響を及ぼすことができる範囲を見極めること」の重要性が書かれていた。

僕自身に当てはめてみると、僕が思っていることを妹に伝えるどうかは僕が決められる。それを聞いた妹がどう思うかは妹が決めること。「悪いほうに転んでしまったらどうしよう」と僕が心配するのは、今まで深入りした話をしたことがないからその勇気が出ない自分への言い訳に過ぎない。

母の性格は僕が変えられるものではない。ただどう受け止めるかは僕が決められる。
「言い訳ばかりでどうしようもないババアだ」と思ったのは他でもない僕であって、母の言動はきっかけに過ぎない。「イライラできる理由」が見つかったことを喜んでいるような感じがあるのも事実。

根本の問題である「他人からどう見られるかが気になる」ことも、自分の影響できる範囲に無いから考えても仕方ない。

まだ実感を伴うことはできていないけれども、まずはなんでもそうやって切り分ける習慣をつけたい。