ひきこもりから自立を目指す

日常や心境を記録中・・・

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必要なモノを見極める

1年間半つづけたアプリ制作を思い切ってやめて良かったと改めて思う。作りたいものがあったわけではなく、「アプリを作ることができる自分」「打ち込むことがある自分」という、他人から良く思われたいという思いが大部分を占めていた。

特にやることが無くなって1か月。心境に大きな変化が現れた。

まずはこれまでの自分の経験を嘆くのではなく、「生かすことができる」という考えが自然にわいてきたこと。
カウンセラーを目指そうと思いついたとき、点と点が線になるような感覚があった。

hiki-jiritsu.hatenablog.com

それからアプリ制作以外にも、精神的に依存しているモノが多くあることに気づいた。

例えば写真。出掛けたときに一眼レフで撮った写真をブログに載せてきた。でも写真を撮りたいという気持ちよりも、「本格的なカメラを使っている自分」や「綺麗な(無難な)構図に収められる自分」を求めていた。

「大きく重い一眼レフが僕に必要か」「こんな写真を撮っていて本当に楽しいか」
そう考えてみると不思議と気持ちが楽になって、すぐにカメラを手放す決心がついた。

ゲームにも当てはまった。PS3グランツーリスモ(レースゲーム)をハンドルコントローラーを使って遊ぶことが多い。でも車に興味はないしゲーム自体の面白さも分からない。

「自宅にいながらゲームセンター感覚を味わっている自分」
「10年近く前のハードウェアなのに現行機に見劣りしないリアルなグラフィックを実現する職人技が詰まったゲームで遊んでいる自分」
これらを味わために遊んでいるんだと思う。

それからPCでやるゲームにも同じようなことが言える。ダウンロード販売サービスのSteamでは頻繁にセールをやっていて、ゲームが格安で手に入る。まずは「買い物上手な自分」が第一に来る。そもそもノートPCを使っているので、グラフィック性能が低い。それでもなんとか遊べそうなゲームを動かしてみては、「内蔵グラフィックでもここまで遊べてしまう性能を持ったPCを使っている自分」に浸ってしまう。ゲームの内容はどうでもよくて、その証拠に今までクリアしたものは一つもない。

そういうことに気づいても不思議と虚無感のようなものは無くて、カメラと同様すっきりした気分になった。

あとはスマートフォン等の電子機器に傷がつくとなかなか立ち直れないことも思い当たる。本来ただの道具なのに、「それを使っている自分」のために依存してしまっている。

こうやって見てみると、モノを利用して自分に足りないものを補おうとしている感じがする。他人からどう見られるか考えることがすっかり癖になって、行動の大半が「~している自分」のためになっている。

それでも、依存してしまっている自分に気づいて少しずつ手放していけそうだと思えるのは、自己肯定感が以前より強くなってきているということかもしれない。