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怠けることの難しさ

自己啓発本を読んでいると「困難は人を成長させる」というようなことが、結構な頻度で書かれている。

久しぶりに読書がしたくなって、一気に4冊の本を読んだ。その中で「賢者の書」という本の序盤に書かれていたことが特に印象に残っている。

そこでは行動して得た結果をパズルのピースに見立ている。

ピースの一つ一つを見ると意味が分からないが、パズルが完成した時になってそれが絶対に必要なピースだったと気付く。だからそれぞれのピース(経験)を成功と失敗に分類することに意味はない。たとえつらい経験だったとしても後で必要になるピースを手に入れただけだ。

というようなことが書かれている。

去年の初めにスマートフォンのアプリが作りたいと思い立って本を買った。ずっと探していた「やりたいこと」が見つかった気がして、今まで作り続けてきた。

「本を買う」という行動を起こして得たものはたくさんある。

例えば最近、説明不足からユーザーに大きな迷惑をかけてしまった。その一方で、ユーザーにアドバイスをもらいながらアプリを改善してとても喜んでもらえたこともあった。両方とも自分にはない視点に気づくことができたし、どこにいても人とのかかわりが発生することを学んだ。

アプリを作りたいと思うようになった元をたどると、大学を休学した年にやったアルバイトの経験が大きいように思う。

そのバイトは請負形式だったので、いろいろなことをやった。その中でチラシ配りをする機会があった。

先輩に連れられて依頼元の店に行く。その時はコンタクトレンズの店だった。

チラシが入っている紙袋を持って人通りが多いところに移動して、あとは一日かけてひたすら配る。

お店の人が自分たちで配るのとは訳が違う。全く関係ない僕が、来る人来る人に「お願いします」と頭を下げてチラシを渡す。僕自身コンタクトレンズに何の思い入れもないから、ただの紙切れを押し付けている気分だった。

それで得たお金は、報酬というより屈辱感に対する慰謝料という感じだった。僕の姿勢がまずかったのは明らかだけども、チラシを見て店に来た人ではなく、配った枚数を重視する店側にも問題がある。人通りが多い、店とは違う方向で配ったから、あれを見て店に行く人はいないだろう。あれだけ苦痛でも何も生み出さない。

その経験があって、とにかく生産的なことがしたいと思うようになってアプリを作り始めるに至った。

「賢者の書」のなかには次のようなことも書かれている

ピースを受け取らないうちは何度も同じ機会がやってくる。受け取ったピースを要らないと判断して捨ててしまった場合も、また同じ機会が与えられる。

同じ問題があるうちは、そこから学べることがあるということだろう。僕の場合は人が怖いというのが一番大きな問題だが、アプリを作ること自体も問題の一つだと気づいた。

アプリを作るために本を買うという行動を起こす前に、僕には2つの期待があった。一つは生産的なことがしたいという期待。もう一つはお金を稼げるようになりたいという期待。

それら2つには「他人から良く思われたい」という共通点がある。本来作りたいものがあって、その手段としてアプリがあるはずなのに、僕はその手段に執着してしまっている。

アプリを作っていると言えば、それができない人からすごいと言われる。今はお金にならなくても、毎日やることがあれば働いていない罪悪感が軽減される。周りにも「今アプリ作っているから(働いている場合ではない)」と言っておけば顔が立つとも思っている。

自分が本当にやりたいことだから続くと思っていたけども、どうやらそうではなくて都合のいい思い込みだったみたいだ。

昨日「ツレがうつになりまして」という映画を見た。その中で主人公が、自分が書いた漫画を編集者に渡したとたんに自信がなくなるという場面がある。まさに僕もそうで、アプリを作っている間は自信に満ちて、「大ヒットしたらどうしよう」という心配を真面目にしている。しかし公開した途端に「やっぱり駄目だろうな」に変わる。その映画の中では自分が本当に書きたい漫画ではなかったからという理由だった。

そもそも行動を起こす前から結果に期待するのが間違いだと「賢者の書」には書いてある。ピースの山から期待通りのピースを引ける確立は限りなく低く、そこにあるとも限らないと。

アプリ開発を通じて、もう十分なピースを得た気がする。次にすべき行動は、勇気を出してアプリ開発から距離を置くことかもしれない。

もし今アプリ開発をやめれば、これと言って打ち込むことがなくなる。何もない自分に戻ってしまう。しかしその自分を認めることこそが、次の課題のように思えてならない。

仮に今アプリが大ヒットして、お金持ちになったとする。そうしたら胸を張って親戚の集いにも参加するだろう。

自分からは絶対にアピールしない。でも人から聞かれたらここぞとばかりに説明する。
「趣味でやっていたアプリ開発が軌道に乗りまして」
褒められたらすかさず謙遜する。
「運が良かっただけです(笑)」

やっていることは変わらないのに結果次第で真逆の態度をとる。相変わらず人の目が気になって仕方ない。アプリ開発という手段にも、より固執することになる。だからお金を手にするだけでは何も変わらない。

幸い今はお金に困っていない。そもそも僕が自立したいのは両親の顔が見たくないからだ。お金を稼いで自立できるようになる前に、両親と和解する必要もあるかもしれない。

僕は他人と比較して負い目を感じることが多いと思ってきた。しかし実際は人を見下すことも同じくらい多いことに気づいた。

「劣等感を感じる」と人に言えば、同情や励ましの言葉が返ってくるから気分がいい。
「あなたのことを見下していますよ」とは言えない。だからそういった感情はないものとみなしてきた。

でも劣等感と優越感は表裏一体のものだからどちらか一方のみと言うのはあり得ない。

劣等感と言ってすぐに思いつく項目

学歴 : 高卒(大学中退というとマシな気がする)
職歴 : なし
友達 : いない
容姿 : よくない
備考 : 社会不安障害?

これらのいずれかを努力して変えれば自信はつくだろう。でもそれを認められないという意味で根本的な解決にはならない。

まとめると、今の僕の目標は「後ろめたさを感じないプロフェッショナルなニート」ということになる。