読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる
MENU

自分を受け入れる方法が見えてきたかもしれない

今の自分になってしまったのは、親の所為だと思いたい。でも仮に誰かが親の所為だと認めてくれても、何も解決しない気がする。ありのままの自分を受け入れることが大切かもしれない。というようなことを前回書いた。

とりあえずできそうなことからと思って、自己否定を始めたら自分でなだめることにしている。なにか上手くいかなかったことを思い出したり反省モードに入った時には、「それがまずかったのは事実だ。」「でも少しずつ変わっていけばいい。」という感じで自分に言い聞かせるようにしている。

思えば今までは完璧な理想像が頭にあって、自分もそうであるべきだという考えがあった。当然現実はそうもいかず、イメージとのギャップに苦しんできたんじゃないかと思う。それが「完璧じゃない自分のことを他人も嫌うはずだ」という考えになって、人目が気になることに繋がっていると思う。

そう考えると自分を受け入れることは、単に自分や両親に優しくなれるだけではなく、悩んできたことを一気に解決するマスターキーみたいなものかもしれない。

どうして完璧じゃなければならないという考えになったか。これを考え出すとつい、周りの環境(とりわけ両親)の所為にしたくなってしまう。過去のことで両親を責める材料(嫌な思い出)は十分すぎるほどある。
でもそれをあえて捨てて、今の自分自身の問題として向き合った方が自分のためにならないか?かっこよくないか?でもいきなり路線変更すると、「過去のことを水に流してやった」という上から目線になって根本的な解決にならない気がする。

そこで提案したいのが、プランCだ。過去のことに対するわだかまりが確かにあることを認めたうえで、いったん保留にする。これは先延ばしということだけれども、これまでの自分にはなかった斬新な案だ。そういえば今まで読んできた本の中にも、結構な割合で似たようなことが書かれていた。

自分の気持ちを客観的に見て、負の感情が湧いてもそれを押しとどめようとせずに、「あー自分は今こう思っているんだ」とただ観察する。

こんな感じだった。本を読んだ後はほとんど忘れてしまうのに、実感が伴った瞬間に思い出すことがあって面白い。

自分自信を受け入れようと考えてからまだ2週間くらいしかたっていないが、さっそく効果が表れている。一人でいるときに、過去にあった嫌な思い出(自分の失言だったり、上手く対応できなかった後悔など些細なことが多い)が蘇ってくることが激減した。これまでは、何か思い出すたびに「やめろ」と心の中でつぶやいたり、口に出すことで抑え込むことができていた。それを上で書いたようになだめる言葉に変えただけだ。

こう思えるようになったのは妹の存在が大きいと思う。僕には二人の妹がいるが、特にまだ家にいる下の妹。こんな僕に対しても、普通の人間としてわだかまりなく接してくれる。普段からなにかと感心することが多い。