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いまさら気づいた父親の習性

母の気持ちは手に取るようにわかると書いた。身近にいる母の気持ちがわかるもんだから、他人の気持ちはある程度分かって当然だと思ってきた。

だから父の気持ちが分からないことが不思議でならなかった。一度母と結託して、叔母(父の妹)に父がどういう子どもだったか手紙で聞いたことがある。

僕はアスペルガー症候群ではないかと自分を疑った時期があったが、それについて知るほど父のほうが当てはまる気がしてならなかった。叔母からの手紙には期待した通り、幼少期に自閉症の疑いがあったと書かれていた。しかし、生活に大きな支障はなかったのでうやむやになってしまったらしい。

その他の問題点としては、カッとなって友達の首を絞めたり石を投げたり、衝動的な行動があったらしい。今も急にキレることがある。

叔母にとっては親身になって勉強を教えてくれたりするやさしい兄だったと書かれていた。それも予想通り。父は叔母家族や祖母の前ではとても朗らかな雰囲気になる。家での態度は想像もつかないだろう。

父はべき論で生きてると考えると納得がいく。そして自分の考えが絶対だと思っているから、人にも押し付けようとする。

父から納得できないことを言われたりされた時に、「なんで?どうして?」と聞き返していた時期もあった。でも決まって「なんでじゃない。当たり前だろ」「口答えするな、馬鹿」で終了自分なりの意見を言っても「へ理屈言うな」「つべこべ言わずにやれ」と一蹴されるだけで、言うだけ無駄だと学習してやめてしまった。これは父自身に本当は考えがないからじゃないのか。それを子供は親に服従すべきという自分ルールでごまかしている。ただ同時に親は子供を養うべきというルールのおかげで、僕が働かなくても何も言ってこない。

なんでこう思ったかというと、僕自身にもべき論で生きている部分があるから。だから、自分と似ている部分を探して無理やりあてはめている可能性がある。そもそも自分の想像の範囲内に、すべての人をあてはめようとしてきたのが間違いだった。

人目が気になるのも、自分はこう見られているに違いないという思い込みからで、そうでない可能性のほうがずっと高い。無数の視点があって、自分が想像できるのはそのごく一部だということがようやく分かってきた。

そんな中、新しい説が突如浮上してきた。べき論に含まれるかもしれないが、父は身近な人に順位付けをしているという説。これに気づいてから父の言動を振り返ってみると、面白いほど当てはまる。

具体的にはこうだ。
祖母 > 叔母 > 母方の祖父 > 母 > 下の妹 > 上の妹 > ぼく

・父自身の順位は母以下で都合によって変わる
・優先順位が下の者に対しては強く意見する
・母より上の者には意見しない。

今までは僕ひとりだけが蔑ろにされていると思っていたが、きれいな序列があることがわかって心が楽になった。父のことが理解できたというより自分が上手く解釈できるようになったという感じで、相変わらず父の心境は分からないが、それは分かりっこないと結論が出た。ましてや僕の都合のいいように父に変わってもらいたいと考えていたなんて恥ずかしいくらいだ。

父にしても母にしても、それぞれ理由があって今の性格になっているわけで、本人なりに苦しんでいることはわかる。しかし、それをすべて許せる段階に僕は来ていない。

両親に対して復讐することは、両親に支配されたことを認めることになるし、あんな奴らの所為で僕の気持ちが荒んでしまうのが嫌だからしないと決めている。でも僕の両親はこんなどうしようもない奴らですよーと書いたのが誰かの目に留まることを期待しているので、復讐と変わらない気もする。

いや違うか。僕自身が受け入れたくない今の僕の性格は、僕自身の所為じゃないと誰かに認めてほしいからか。その言い訳に親を利用しているだけか。仮にそれを認めてもらえても、僕の性格は変わらないし受け入れがたいという気持ちも変わらない。周りの環境の所為でこんな風になってしまった僕の性格を、僕が引き受けてあげてますということになるのでは?自分が自分じゃないといっていることになる。

じゃあどうすればいいか。そう考えると自分自身を自分として受け入れることが解決策になりそう。

確かにありのままの自分を認められれば、ありのままの他人(両親)も認められる気がする。なんか前回と同じ結論になった。