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どこまでが親の責任か

自分の生きづらさの原因を必死で探していた時期があった。

まだ学校に通えていたころ、何とかしたいと思って心療内科に行ったら社会不安障害と診断された。症状は確かに一致しているんだけれども、薬を飲んでも一向に効果が表れない。そのくせ医者には「なんか、良くなってきた気もします」とか適当なことを言っていた。そんなやり取りに嫌気がさして半年でやめた。

ほどなくして大学を休学し実家に帰ったあたりで、アスペルガー症候群発達障害など生まれ持った資質に目を向け始めた。当てはまる場合もあったので今も資質がないとは断言できないけれども、少なくともそれだけではないことは確かだった。

その半年後、母親に教えてもらった市の機関に紹介してもらったカウンセリングに通い始めた。病院ではないのでもっぱら話を聞いてもらうだけで、診断や何か提案してもらうことはない。それでも思っていたことを、もちろん全部は言えないけれども毎週のように聞いてもらっているうちに、幼少期の不満が多いことに気づき始めた。

そしてアダルトチルドレン(AC)という言葉に出会う。子供っぽい大人ではなく、不健全な家庭で育ったことで子供らしく過ごすことができなかった人という意味。端的に言えば、自分の生きづらさは親の所為ということ。これは驚くほどよく当てはまったし、親を疑うという考えが新鮮だった。

当然、親に都合よく洗脳されていたことに対して怒りがわいてきた。というか今まで抑圧していた怒りが表面化しただけかもしれない。

一方で自分の責任だという考えもある。たしか「嫌われる勇気」という本だっと思うがその中に、「こんなひどい目にあったから自分がこうなってしまったとストーリを作るのは簡単だが、今の自分になることを選択したのは自分だ。」という感じで、トラウマに対して否定的なことが書かれていた。また、「自分の都合のいいようにストーリーを作る」とも。(違う本だったかも)

確かに、僕が社会不安障害を患ったおかげで引きこもることができたので、人間関係の悩みはなくなった。働きに出ないための都合のいい口実になっているのも事実だ。仮に僕と全く同じ環境に別の人が置かれていたら、今の僕の様にはなっていない気もする。

スピリチュアルな説の中には、生まれる前に自分の親を選ぶというものもある。そこまで行くと信じがたいが絶対ないとも言い切れない。正しい答えは分からないから、自分の考えを信じるしかない。

ACには白黒つけたがる特徴があるらしい。まさに自分がそうで、常にグレーゾーンを意識しないと全部親の責任または自分の責任にしようとする。

今はやっぱり親の影響は大きく、ACという定義はあっていいと考えている。でも両親から悪い影響があったことに気づいた以上、それを生かさないと今まで苦しんだ意味がない。こんな親ごときに僕の人生を決められてたまるかという思いもある。

そして忘れはならないのが親自身もACである可能性が高く、僕のことを苦しめようとしてきたわけではないということ。相変わらず怒りが湧いてくるけれど、こう思うと少しだけ楽になる。

 

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