ひきからじりつ

心境を記録中・・・

【iOS】コエステーションで自分の「コエ」を作る

入力したテキストを自分の声で読み上げてくれるサービス「コエステーション」を試してみたら感動したので紹介したい。

コエステーション あなたのコエがしゃべり出す。

自分の声と言っても、録音したものを再生するわけじゃなく、声の特徴を学習して、それをもとに「コエ」を作ってくれる。

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コエにはレベルがあって、10文でレベル1、この時点でもわりとよく似ているが、それが200文のレベル5ともなると、もう自分でも区別が難しいほど。

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ちなみに、アプリは現時点でiOS版のみ。外付けマイクの使用を勧められるけど、iPhone内蔵マイクで十分だった。

‎「コエステーション」をApp Storeで

幸せになるために

hiki-jiritsu.hatenablog.com

「快感回路」という本を読んだ。脳科学の知見から、「快」と「依存」の関係を解説してくれる。例えば甘いものを食べると、脳の特定領域が活性化して快を感じる。でもそれを繰り返すうちに活性化が弱まって、もっと強い刺激じゃないと快を感じられなくなる。それどころか、甘いものを食べてようやく「普通の状態」になれる、つまり、甘いものを食べない限り不快な状態になってしまう。だからもっと甘いものを食べる。これが依存の仕組みだという。

他人から評価されると、同じ領域が活性化する。さらに、他の快、それにつながるあらゆること(例えば行動)に対しても。強迫観念・行為のように、生きていくうえで何の役にも立たないように見えることにさえ。

他人からの評価を気にしすぎるあまり、引きこもってしまった僕は、人からの評価に文字通り「依存」していたと言うことか。

入院生活という社会体験を通して、「他人からの評価がすべてじゃない」という、言葉にすれば当たり前のことを実感している。最近は人から話しかけられても、全力で応えようとしない、あえて話さない勇気を持てるようになってきたし、わがままやルール破りなど、以前の僕なら考えられないこともする。その方が全体として見たときに「快」だからだ。これは、行動の基準が他人に寄りすぎていた僕にとっては良い変化だと思っている。

ただ一方で、快を基準に行動することは、脳に電極を埋め込まれ、快を与えてくれる装置をひたすら連打するマウスと変わらない気がする。先の本によれば、「C・エレガンス」という体長1mmほどの線虫にさえ、快感回路といえるものが備わっているという。

内容は関係ないけど、この後「マンガで知るサイバーセキュリティ」という本を読んだ。タイトル詐欺もいいところ、ただただ内容が胸糞悪くて、暗い気持ちになってしまった。

人は快を欲しがるくせに、手に入れるともっと強い快が欲しくなるようにできている。悲劇だって平気で起きる。「人は幸せになるために生まれてきたんじゃないんだな」と。

ただこうやって悲しみに浸っている間も、そこから抜け出したくない気持ちがあった。ということはそこにも一種の快があったと言うことか!?

いずれにしても、快との付き合い方は、もっともっと考えていく必要がある。

快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか (河出文庫)

快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか (河出文庫)

マンガで知るサイバーセキュリティ: オーブンレンジは振り向かない

マンガで知るサイバーセキュリティ: オーブンレンジは振り向かない

幸せになりたい

hiki-jiritsu.hatenablog.com

甘いものを食べるとおいしい。でも食べれば食べるほど食べたくなって、一向に満足できない。

ここ1週間は病院で一切間食をしなかった。多少空腹感はあるけど、その分ご飯をゆっくり味わって食べたらとても満足感があった。

でも外泊で家に帰ってきたら、つい、いつもの癖でいろいろ食べてしまった。今もこの文章を書きながらアイスを食べている。おいしいはずなのに、幸福感は全くない。

身近にあって快を与えてくれるものは、他にもいろいろある。その筆頭がPCやスマホYouTubeを開けば、おすすめの動画がずらりと並ぶ。RSSリーダーを開けば、自分の好きな話題が次から次へと入ってくる。でもそれによって僕は幸せになっているんだろうか。

惰性で開いているアプリやブックマークを消してみた。間食も、また今日から止めてみよう。

hiki-jiritsu.hatenablog.com

一人称が言えた日

hiki-jiritsu.hatenablog.com

入院してから4か月半、最近の課題は「自分から話しかけること」。楽しく話せるようになってきたけど、きっかけはいつも一方通行で、自分から話したいことがあっても、ためらって結局やめてしまう。

どうやって話しかければいいか分からない・・・。

こんな時、「せっかく入院してるんだから」と前向きになれるのは、少し前とは変わったところ。「蚊がいる」でもなんでもいいから、「話したい」と思ったタイミングをできるだけ逃さないようにしている。

話は変わるけど、僕は母の前で一人称を使えない。きっかけは20年近く前のこと、「ぼく」から「オレ」への移行に失敗してしまったから。初めはからかわれるのが怖かったはずが、いつしか謎のこだわりと化して、もはや一人称を使わざるを得なくなることが怖くて仕方ない(英語の「I」を何度うらやましく思ったことか)。

それは、自分から話しかけるときの不安と似ている。なんだ、それなら同じように、一人称を使う機会を作ればいいじゃないか。そう思い立って勢いに任せて、この前病院から電話した時に、「今度迎えに来てくれるときに”僕の”スマホ持ってきて」と言ってみた。長年悩んでいたのは何だったのかと思うほどあっけなく終わった。

不思議なことに、それを境に、これまで散々イライラしてしょうがなかった母と、これまでとは比べ物にならないほど自然体で話せるようになった。

母には多くの欠点があって、僕はそれによってイライラさせられている。そんなストーリーはどこへやら。理由なんてものは当てにならないなー、いやほんとに。

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