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あきらめが必要かも

他人の視線が過剰に気になることをはじめ、僕には多くの問題があるが、それらの根本に「プライドが高すぎる」ことがあると分かった。

逆にそれさえ何とかなれば、問題も一気に解決するはず。そう思って最近は、できない・分からない、「ダメな自分」を素直に認めるように意識している

本を読んでいるとき、分からないことを認めてじっくり読んでみたら、その分よく分かるようになった。

ギターを練習するとき、苦手なフレーズを弾けないことを認めてスピードを落として練習してみたら、いつのまにか弾けるようになった。

こんな感じで、初めは順調だった。でも、せっかく素直に認められるようになっても、「ダメな自分」を繰り返し確認しているうちに、また元のようにイライラしてしまう。

新たにできるようになったことも、またそこに新たなプライドが生まれて、やっぱりイライラしてしまう。

いくらプライドを崩しにかかっても、終わりが見えそうにない(すぐに結果を求めてしまうのも、「自分はすぐに結果を出せるはず」というプライドだ)。

プライドについて調べていたら、まさに僕と同じ状態について、とても分かりやすく書かれた記事を見つけた。

高すぎるプライドと“恥”の感覚 - シロクマの屑籠

ここに登場する言葉を借りれば、僕は「うまくいってない状態」に耐えられず、無性にイライラしてしまう。勝手に起こる感情だから、「止めよう」と思ってもどうにもならない。

僕は赤ちゃんの頃よく泣いて、かなり幼いころから癇癪持ちだったらしいから、たぶん生まれ持った質だろう

そもそもどうしてイライラしてしまうのか。まだ納得できる答えは見つからないが、生物としては当然だと思う。「うまくいってない状態」に不快感を覚えれば、それを何とかしようとして、生存や生殖に有利な行動につながるだろうから。

でも僕の場合は不快感が強すぎて、生活全般に支障をきたしている。

ヒトは受精卵から始まって、そこからは遺伝子をもとに形作られていく。遺伝子は受精より前の段階で、ランダムにシャッフルされたり、置き換えられたりする。そして精子卵子が出会って、その人の遺伝子が決まる。この過程のおかげで、いろいろな人が生まれる。

その結果、不利な個性を持って生まれてくる人も多い。でも、自然にとっては、一個体がどうなろうと知ったことじゃない。そういう弱者は勝手に淘汰されていくから。とにかく多くのバリエーションを生み出して、競わせて、有利な個性が次の世代に広がっていく。ヒトを含めた生物はそうやって進化してきた。

もはや「人は、幸せになるために生まれてきた訳じゃない」と断言したくなるが、ヒトには、「ポジティブ・イリュージョン(現実を都合よくねじ曲げる傾向)」や、宗教(神や死後の世界)を信じる能力のような、救済ともとれる性質が備わっている

逆に言えば、そういう性質が必要なほど、高度な心を持ったヒトにとって、生きることは辛いことなんじゃないか

自然の、そしてそれが生み出した人間社会の非情さを感じる。

僕がひきこもりなのは、僕のせいじゃない!生まれ持った能力も、環境も違うんだから。たまたま運が良かっただけの成功者が何かのたまえば、"その人自身"が素晴らしいと称賛される。それが悔しい。

でも、それもしょうがない。でも、分かってほしい。

目指すべきは何かをできるようになることよりも、あきらめることかもしれない。淘汰される側のヒトとして。

プライドが高すぎる

昨日考え事をしていたら、「僕はプライドが高すぎるんだな」と、腑に落ちた。

他人の視線が気になって挙動不審になること、引きこもっていること、母に対してイライラしてしまうこと、自分を大きく見せようとすること、なんでもすぐに修得できると思っていること、自分の弱みを見せられないこと、誰かを頼ることができないこと、他人の意見を聞けないこと、素直に感謝できないこと、謝れないこと―。

多くの問題の根本にはプライドの高さがある。

傷つくことへの怖さが先か、プライドが先かは分からないが、傷つくことを避け続けているうちに、プライドだけが立派に成長してしまったことは間違いない。

「自分はクズだ」と開き直ることができたら、楽になるだろうなー。頭では分かっても、常にプライドを基準に判断している自分に気づく。

このプライドを、地道に砕いていくしかないのか。

ジョーブログに触発されて、東海道を歩いてきた

先日AbemaTVで放送された「亀田興毅に勝ったら1000万」で、「ジョーブログ」というYouTubeチャンネルを知った。亀田興毅と素人4人が対戦する企画で、そのうちの一人が、ジョーブログのジョーさんだった。

AbemaTV1周年記念企画「亀田興毅に勝ったら1000万円」 | AbemaTV

事前に行われた調印式で初めて彼を見たとき、「(悪い意味で)ヤバそうな奴が出てきたw」と、冷ややかな目で見ていた。でもその後、挑戦者が各々カッコつけて自分を大きく見せようとする中、彼だけは亀田興毅の発言にしきりにうなずいていて、好印象に変わった。

試合の次の日にジョーブログを見てみた。そしたら第一印象以上に、(今度はいい意味で)ヤバい人だった。

ジョーブログ【金髪の革命児】 - YouTube

過去の動画をいくつか見た後、「再生リスト」の中から、アメリカ横断の旅を見た。

www.youtube.com

現地で稼いだお金以外は持たず、基本的にはヒッチハイクで、ロサンゼルスからニューヨークを目指す。この旅が凄かった。

ヒッチハイクのために、見知らぬアメリカ人に話しかけまくる
・基本、野宿
・路上で謎の踊りを披露してお金を稼ぐ
・灰皿から吸い殻を集めて吸う
・食べ物が見つかりやすいゴミ箱を知っていて、当然のように食べる
・洗濯は1週間に1度できれば良い方
・ヒッピーと友達になってしばらく同行
・「(前回旅した時に)ここでしばらくホームレスに雇われていた」と、唐突に話し出す
・現地で友達になった人が多い
・体感-30℃のデトロイト(街が廃墟)で、夜通し歩き続ける(止まれば命が危ない)
・ろくに食べず眠らず、極寒の中、連日数十km歩き続ける(35kgのバックパックを背負いながら)
・たまに面白いことを言うから、極限の状態に見えない
・カメラマンは現地で編集までこなす

こうして書き出しているうちに、自分のことのように誇らしく感じてくるのはなぜだろう。信者になりつつあるのかな?

でもこの感動が、憧れなのかは分からない。あまりにも別世界過ぎてよく分からない。同意できないこともある。ただ、ジョーさんが僕と真逆の行動ばかりするから、最後まで「凄い!信じられない!」の連続だった。一躍、見ていて楽しいYouTuberのトップに躍り出た。

ちなみに、これまでのトップは「Primitive Technology」。別の方向でヤバいのでお勧め!

www.youtube.com

昨日その旅を見えて、僕もじっとしていられなくなった。それで今日、東海道を歩いてきた。

初めは「風が気持ちいい!」とかやっていたのに、だんだん足取りが重くなり、中盤以降はずっと限界だった。

先月あたりの旅でかなり歩いたので、甘く見ていた。歩き続けることが、こんなに苦しいとは思わなかった。つい、地図を見てしまって、残りの距離に愕然とすることを繰り返した。 本当に辛かった。

先を見ても辛くなるだけなので、目線を落として、無理やり手足を動かし続けた。

ゴール近くで今日来た方角を振り返ったら、はるか遠くに山が霞んで見えて、そのさらに向こうから来たことが信じられなかった。

疲れた!

休憩込みで9時間ほど歩いて、後で距離を測ってみたら34kmだった。期待したよりも少なかったが、充実感はすごい。自然と笑顔になってしまう。でも、もう歩きたくない。

ジョーさんと張り合うわけじゃないけど、体力・気力だけとっても、格が違いすぎるわ。

公開されているGoogleマップを事前に用意しておけば、スマホで現在地を重ねて表示するだけ。歩きながら道を選ぶ必要が無くて楽だった(でも地図によってルートが違ってどれが正しいのか分からない)。

*歩道が無くて歩きづらいところや、「どうしてわざわざここに道を通した?」と思うような場所もあった。でも、自分で選んだ道のように、行き止まりだったり、道なき道ということはなく、普通に歩き通せるようになっていた。

*歩くと股関節がひどく痛む持病(?)を抱えていたが、今回は途中少し違和感があったくらいで、結局最後まで痛みが出なかった。先月から初めたユアシェイプのおかげだろう。ただの運動不足だったようだ。

遠回しな言い方しかできない母と、それにイライラしてしまう僕

5,6年前から、母に対して無性にイライラするようになった。いい子にしてきた僕にとって、親を疑うことは新鮮で、解放感のようなものがあった。でも次第に、イライラしている自分にイライラするようになってしまった。これまでその原因や対処法を考えてきたが、イライラは募る一方で埒が明かない。

最近は半ばあきらめて、「遅れてきた反抗期」ということにして片づけようとしていた。そのうち時間が何とかしてくれるだろうと。

でも、ついに突破口を見つけたかもしれない。

母は言いたいことをはっきり言わず、遠回しなアピールという形で伝えてくる。知ったかぶりや、謎の上から目線はもちろん、自分の非を認めず言い訳を重ねるし、頼み事があれば、頼まれる側の方から「やろうか?」と言うように仕向けるし、何か決断するときは、自分の責任にならないように、「他の誰かがそう言ったから」みたいな形に持っていこうとする。

自分を大きく見せたり、有利な立場に持っていこうとするだけでなく、母の行動が、できるだけ自然な形に見えるように工作する傾向もある。例えば、「肩が痛い」と伝えたいときは、わざとらしくストレッチしてから話し始める。会話のきっかけとして、無駄な質問に答えさせられることも多い。

こうやって自分の思惑通りに、しかも間接的にコントロールしようとしてくる母がムカつく。

hiki-jiritsu.hatenablog.com

だから僕は、あえて期待に背くような返事をしたり、無視したりする。そうすると、「我ながら意地悪だなあ」という後味の悪さが残る。でもそれしか策がない。

僕がやっていることは母と同じだ。やめて欲しいのに直接言わず、期待に背く反応を繰り返すことで、母をコントロールしようとしている。

僕には妹が2人いるが、下の妹は、言いたいことをはっきり言えるし、自分の弱みを見せることもできる。そんな妹は、母と友達のように話すことができる。母の問題点に気づいていないわけじゃない。ただ、母の気になる言動に嫌味のないツッコミを入れたり、適当に受け流したりできる。母がしどろもどろになって気まずい空気になっても、次の瞬間には楽しそうに話している。

そんな妹を見てもなお、僕が言いたいことをはっきり言えないのはなぜか。漠然とした怖さがあるからだ。たぶん、母も同じだろう。それでも、自分が正しいことを、相手に分かってもらいたいと思っている。相手を見下している。お互いけん制し合って、身動きが取れなくなっている。

だから、「お前が態度を改めろ」ではなく、「どうしようもないお前を許してやる」でもなく、同じ問題を抱えていることを逆手にとって、「これからは、お互いに、言いたいことをはっきり言うようにしよう」と、対等の立場で問題に向き合えば、たぶん解決できる。すぐに言い出せる気はしないが。